シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット

英国グラナダテレビで放送されたシャーロック・ホームズシリーズの代表作と、主演を務めたジェレミー・ブレッドの役作りを多くの証言に基づき後付けた書。

シャーロック・ホームズシリーズの映画化、ドラマ化は数多いが、最も原作に忠実で、ホームズのイメージそのままに演じきったのは、ジェレミー・ブレッドであろう。

原作を徹底的に読み込み、出来うる限りホームズであろうとしたジェレミーの姿勢には、執念すら感じられる。

最も見事な作は、本書でも賛辞を寄せている「六つのナポレオン」ですね。

李白 巨大なる野放図 , 杜甫 偉大なる憂鬱

宇野直人(著)   江原正士(著)  (平凡社 2009)

中国を代表するふたりの詩人、李白と杜甫の人生をたどりながら、作品を対談形式で読み解いたもの。漢詩を味読しながら、伝記としても楽しく読み進めることが出来る。

「李白 巨大なる野放図」と「杜甫 偉大なる憂鬱」の2冊が刊行されているが、両著を読み比べると面白い。

表紙に描かれた肖像画からも、二人の人柄や作風の違いが窺われる。

よく言われるように、豪放な李白に対し、哀切を帯びるのが杜甫である。

黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る  李白
 故人 西のかた黄鶴楼を辞し
 煙火 三月 揚州に下る
 孤帆の遠影 碧空に尽き
 唯だ 見る 長江の天際に流るるを

絶句 其の二  杜甫
 江碧にして 鳥逾白く
 山青くして 花然えんと欲す
 今春 看すみす又過ぐ
 何れの日か 是れ期年ならん

ふたりの代表的な詩であるが、いずれも鮮烈な光景が目に浮かぶ。

李白の詩がはるか天空に上るかのように結するのに対し、杜甫の詩は美しい春を前にしながらも嘆息で結ばれる。

国を思い、士官を求めてほぼ唐の全土を巡り歩き、安史の乱に翻弄されたながら生きたふたりであったが、それゆえにこれだけの詩を残せたのであろうか。

李白 – 平凡社 (heibonsha.co.jp)
杜甫 – 平凡社 (heibonsha.co.jp)

パスカル パンセ

鹿島 茂(著)(2013年 NHK「100分で名著」ブックス)

いつかは読みたいと思いながら、書店で手にするとその分量と、断片的な内容に躊躇していた「パンセ」。

NHK TV番組を元にした解説本があったので、ようやく読む気になった。

39歳で亡くなったパスカル(1623-1662)が生前書きためた断片的な考察を、遺族や編者が整理しまとめたもので、原題は「死後、書類の中から発見された、宗教およびその他の若干の主題に関するパスカル氏のパンセ(思索)」。

前半は、就職や仕事で悩む現代の人々に対して、パンセの中から考える方向性を見いだすという構成である。

「わたしたちがどんな状態にいても、自然はわたしたちを不幸にするものである。わたしたちの願望が、もっと幸福な状態というものをわたしたちの心にえがきだしてみせるからだ」

「人間は一本の葦にすぎない。自然の中でも最も弱いものの一つである。しかし、それは考える葦なのだ。・・・たとえ宇宙が人間を押し潰したとしても、人間は自分を殺す宇宙よりも気高いと言える。なぜならば、人間は自分が死ぬことを、また宇宙のほうが自分よりも優位だということを知っているからだ」

「人間は小さなことに対しては敏感であるが、大きなことに対してはひどく鈍感なものである」

「時代は苦しみを癒やし、争いを和らげる。なぜなら人は変わるからである。人はもはや同じひとではない」

同時代を生きたルネ・デカルトとの対比が興味深い。

ふたりは実際の交流もあったようである。

「我考える、ゆえに我あり」というデカルトの宣言に対し、パスカルも考えることを人間の本質と捉えたが、絶対視はせず、自然界に置かれた人間という謙虚な思想がうかがえる。

福岡伸一氏の寄稿によれば、「この世界はすべて因果関係で成り立っており、メカニズムとして理解できる」というデカルトに対し、「私たちは動的な存在であり、世界も動的」、「同一性は、常に揺らいでいる」のパスカル。

デカルトの思想が作り上げた現代社会が様々な問題を生んでいるという指摘は、養老孟司氏のいう「脳が作り上げた、ああすれば、こうなる社会」にも通じる。

パンセの後半を占める思想は、パスカルがカトリック改革派(ジャンセニスム)の信仰に帰依したことから、キリスト教の擁護という意味合いも強い。

https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000815892013.html

ゲーテとの対話

エッカーマン(著) 山下 肇(訳) (全三冊 岩波文庫)

晩年のゲーテに師事したエッカーマンが、日々の出来事や詩作と芸術、人生について語り合ったことを丹念に綴った書。

万能の天才とも表されるゲーテ、その活動は、詩人として、科学者として、またワイマール国の官僚として多岐にわたる。

ゲーテの生きた時代は、フランス革命からナポレオン戦争へ、ドイツ連邦の成立など、ヨーロッパ激動の時代であった。

その生涯の蓄積が豊かな言葉となって語られ、「ゲーテ格言集(岩波文庫)」のなかにも本書からの出典が数多く収められている。

「後退と解体の過程にある時代というものはすべていつも主観的なものだ。
が、逆に、前進しつつある時代はつねに客観的な方向を目指している。
現代はどう見ても後退の時代だ。というのも、現代は主観的だからさ。(1826年1月29日)」

「もし世界というものが、これほど単純でなかったなら、いつまでも存在することは不可能だろうね。
この貧弱な土地は、もう数千年前も前から耕されてきているわけだが、地力はいつでも同じなのだ。
ほんの少し雨が降り、ほんの少し日があたれば、春を迎えるたびに緑が萌える。
そしてそれがずっとつづいて行くのだ。(1827年4月11日)」

これらの言葉は、現代にも通ずる普遍性をもっている。

「いつかは目標に通じる歩みを一歩一歩と運んでいくのでは足りない。その一歩一歩が目標なのだし、一歩そのものが価値あるものでなければならないよ。(1823年9月18日)」

「人は、青春の過ちを老年に持ちこんではならない。老年には老年自身の欠点があるのだから。(1824年8月16日)」

「本当に他人の心を動かそうと思うなら、決して非難したりしてはいけない。まちがったことなど気にかけず、どこまでも良いことだけを行うようにすればいい。大事なのは、破壊することではなくて、人間が純粋な喜びを覚えるようなものを建設することだからだ。(1825年2月24日)」

ゲーテに対して晩年という言葉はふさわしくないかもしれない。

ゲーテの陰に隠れてはいるが、冒頭で語られるエッカーマンの半生や、ゲーテとの出会い、その言葉をどう聞き、どう受け止め、自身の人生の糧にしたのかも興味深い。

エッカーマンの筆により、ゲーテが目の前で語りかけているように感じられる書である。

ゲーテとの対話 全3冊セット – 岩波書店 (iwanami.co.jp)

人を幸せにする写真 幸せになれるかもしれないと思ったあの日のこと

ハービー・山口(著)(TWO VIRGINS 2022)

写真家ハービー・山口氏のフォトエッセイ集。
カメラ誌CAPA連載の「You are a peace of art.」を再構成したもの。

タイトルの通り、「人を幸せにする写真」を撮り続けているハービー氏のエッセンスが凝縮されている。

ハービー氏は、スナップ・ポートレートというジャンルを確立した写真家であるが、どの写真も見ていて心地よい。

写っている人のまなざしが、見ている人をも幸せな気持ちにさせる。

それは、撮っているハービー氏自身が、「人の幸せを祈ってシャッターを切る」からであろう。

「自分の命が、人生が何かに救われたという経験があるのなら、その何かをずっと大切にしていく人生を設計したら良いんじゃないかな」。
(まえがき より)

「写真する」ことは、インスタ映えするためではないことを思い起こさせてくれる。

雨の匂いのする夜に

椎名 誠(著) (朝日新聞出版 2015)

写真誌「アサヒカメラ」に連載された「シーナの写真日記」を単行本にまとめたもの。
 (アサヒカメラは2020年7月号で休刊となっている)

文章はもちろん、写真も椎名誠氏自身によるもので、フィルムカメラで撮影されたモノクローム写真である。

世界を旅して出会った人物や風景の写真と、その時々のエピソードが綴られている。
マイナス40度にもなるロシアの極北の地や、南米の犯罪のにおいのする場所など、一般の旅行者は訪れない土地が多い。

人々の日常や自然の息づかいが伝わってくるように感じるのは、椎名氏がその土地に溶け込んでいるからであろう。

https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=17557

昭和の青春 日本を動かした世代の原動力

池上 彰(著)(講談社現代新書 2023)

1950年生まれの著者が、子供時代から社会人ーNHK記者ーとして生きてきた「昭和」という時代を、政治、経済、社会風俗という視点から紹介している。

第二次世界大戦後の復興期から、高度経済成長期へ、そしてバブル崩壊後の停滞期の主な出来事が、ニュース記事解説のように語られている。
田中角栄氏や皇室関係の話題はかなり詳細である。

本書で語られる出来事は、同時代を生きた人なら実感として分かるだろうが、若い世代にとっては、もはや昭和は「歴史」なのかもしれない。
 「歌声喫茶」― 吉祥寺駅ビルにもありましたな(昭和50年代)。

昭和とは、未曽有の経済成長を背景として社会が急速に変化した時代、と感じられる。

また、「昭和」という言葉の一般的なイメージは、テレビなどマスコミを通じて形作られたものではないか、という印象も受けた。

本書は、”Japan as Number One”といわれた1980年台を頂点として、そこに至るまでの30年、その後の30年という図式で読むこともできる。

成長が急速だった社会は、衰退も急速に進むのかもしれない。

『昭和の青春 日本を動かした世代の原動力』(池上 彰):講談社現代新書|講談社BOOK倶楽部 (kodansha.co.jp)

「人生、こんなはずじゃなかった」の嘆き

加藤諦三(著) (幻冬舎新書 2023)

学生時代によく読んでいた加藤諦三氏の近著が目にとまり、何十年ぶりに買った。
ご健在で何よりである。

「60歳を過ぎて、可愛いリュックサックをしょって街を歩く、それが嬉しくてしょうがない。
それが成功した「老い」である。」
(まえがき より)

前半では、理想的な生き方として、「我が人生に悔いなし」と言った祖父の思い出が語られる。

そして、「人生、こんなはずじゃなかった」という生き方になってしまう原因、―自分の意思を持つという成長と苦しみから逃げること― が、繰り返し述べられている。

「失敗のない人生は崩壊した人生である。失敗は、意味ある人生を送るための必要条件である。」
(第一部「我が人生に悔いなし」と言って死ねますか より)

後半では、「人生に悔いなし」と言えるための生き方、特に老年の心の持ち方が語られている。

「内的成熟の時期に入ったら、人からの称賛を目的とした生き方をしないことである。そして内面の成熟を目的とした生き方をすることである。
 それは今まで戦ってきた自分を信じることである。ここまで頑張ったのだから明日は「きっといいことがある」と信じること。」
(第二部 老いを認められる人は若い より)

厳しい記述や、身につまされる指摘も多いが、納得させられる。

あとがきでは、

「今をきちんと生きていれば、運は必ず良くなる」

とのこと。

学生時代、加藤諦三氏の講義を受けたが、当時から人気教授で、大教室で300人ほどが聴講していた。期末試験は「自明性の間主観性について述べよ」であったと思う。懐かしい。

https://www.gentosha.co.jp/book/detail/9784344987128/

なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた

養老孟司(著) 鵜飼哲夫(聞き手) (中央公論新社 2023年)

読売新聞に連載された「時代の証言者」に、インタビューを加筆増補して生まれた書。

養老孟司氏の日常やこれまでの人生は、NHKテレビ「まいにち 養老先生、ときどき まる」などで断片的に紹介されることはあったが、自伝的にまとめられたのは初めてである。

今まで語られることの少なかった生い立ちから、戦時中、医学生時代、最近の著書まで、何を考え・どう生きてきたか、独特の語り口で伝わってくる文章となっている。

「なんだか知らないけれど、常に一生懸命だった。だれに頼まれたわけでもないのだから、ご苦労様というしかない。」(まえがき より)

都市は脳が自然を徹底的に排除してできあがったもの、話せばわかるなんてウソ、個性とはからだのこと、など、世間の常識に問いを投げかける思想が、どのようにして生まれてきたのかが窺われる。多くの著書のテーマや内容を思い起こしながら読むと興味深い。

「三段跳びのように」話が唐突に飛躍するのも養老孟司氏の特徴であるが、その思想の背景には、ひとつのことを徹底的に突き詰めないと気が済まないという気質があることもわかる。

できれば、養老孟司氏が書き下ろした自伝も読んでみたいものである。

https://www.chuko.co.jp/tanko/2023/11/005712.html

まともバカ ~ そもそもの始まりは頭の中

養老孟司(著) (だいわ文庫 2023年)

2006年にとして発刊された「まともバカ ― 目は脳の出店」の復刻版で、講演録を元に書き起こされたものである。

「バカの壁」「死の壁」など、その後続々と発刊された壁シリーズの原点ともいえる思想が展開されている。

「唯脳論」、「涼しい脳味噌」、「養老孟司の大言論」などの書き下ろしで味わえる独自の文体、行間を読む必要のある論理の飛躍といった特徴は少ない。

一方で、最近の著作に比べると、切れ味は鋭く、講演集ということもあってか、遠慮や忖度が少ないように感じる。

逆説からの問題提起や、脳が作り上げた社会が自然といかに折り合っていくべきかといった視点は一貫している。

https://www.daiwashobo.co.jp/book/b10032183.html