月別アーカイブ: 2007年8月

風景との対話

東山魁夷(著)「風景との対話」(新潮選書)
日本画壇の巨匠、東山魁夷氏(1908-1999)の自叙伝です。
ブックカバーには、「私の制作と旅の生活を通じて、心の内奥の世界の遍歴を記録したのが、この書である」と記されています。 風景画家を志しながら、戦争による混乱や度重なる家庭の不幸に見舞われ、なかなか画壇に認められない頃の心の葛藤や、幼少時のさまざまな思い出とともに、「道」など代表的な作品の制作過程が、縒り合わさるように綴られています。 またドイツ、オーストリア、北欧、中国などの取材を綴った文章は、紀行文としても興味深く読むことができます。 全編から著者の絵画に対する真摯な態度、繊細な感受性、穏やかな人柄が伝わってきます。 八ヶ岳の美ヶ原高原に、厳冬期を生き延びて芒が細く立っている姿を発見したときのエピソードには、著者の人生観というべきものが語られています。 「やがて、再び春が廻ってくる。さて、あの芒は-雪が降ってきた時は、だんだん下から積って、そのまま倒れずにいるうちに、しまいには、すっぽりと雪の中に蔽いかくされてしまう。雪がとけると、頭のほうから出て来て、こうして春に残るのである。私はこの弱々しいものの、運命に逆わないで耐えている姿に感動した。」 氏の作品には、淡い色彩の中にどこか理想主義的な輝きを感じさせるものと、重い色彩の中に心の内に秘められた葛藤や苦悩を感じさせるものがあります。 多くの作品がどのような制作意図をもって描かれたのかを知ることができ、作品を鑑賞する楽しみも深まります。

(2007/08/06)

天才の栄光と挫折 数学者列伝

藤原正彦(著)「天才の栄光と挫折 数学者列伝」
本書に登場する人物は、ニュートン、関孝和、ガロワ、ハミルトン、コワレフスカヤ、ラマヌジャン、チューリング、ワイル、ワイルズなど、歴史上偉大な発見をした数学者たちです。
これらの数学者たちの生涯を、時代背景や人間関係を踏まえて詳説したのが本書です。
その業績の紹介だけでなく、天才たちが生きた時代背景や、社会環境や家庭環境をつぶさに調べ上げ、歴史的な発見に至る過程を解き明かしてくれます。
著者は天才たちの生家や学舎を訪ね、彼らが生きた時代に思いを巡らせ、心の奥底まで推察します。著者の姿勢には、同じ数学者に対する共感ともいうべきものを感じます。
独特の臨場感と情緒に溢れた文体で、たとえ数学に興味がなくとも引き込まれるように読み進めることができ、天才と称される人々の人間像が鮮やかに浮かび上がってきます。
たとえば、ニュートンは再婚した母が住む教会の尖塔を思慕の念と怨念を込めて眺めていたのではないか、そしてそれがニュートンを宇宙の仕組みを通して神の声を聞くという態度に向かわせたのではないかと推察します。
本書を読むと、多くの数学者たちが家庭的、経済的、あるいは精神的に様々な困難を抱えていたこと、その発見が天才の閃きというより、超人的な努力と集中力の継続の上に成し遂げられたことがわかります。
天才といえども、軽々と歴史的な発見をした訳ではないのです(「数学の神様は自分に払われた犠牲より大きい宝物を決して与えない」コワレフスカヤの章より)。
もうひとつ興味深いのは、歴史上には発明・発見の世紀(時代)と呼ぶべき輝かしい瞬間が存在するということです。
プリンキピアの発行を渋っていたニュートン(1642-1727)に対して、ハレー(*1)、フック(*2)、レン(*3)などの働きかけが大きな影響を与えたこと、あるいはロシアのコワレフスカヤ(1850-1891)のドストエフスキー(1821-1881)への思慕の念など、様々なエピソードが紹介されています。
このような傑出した人物たちの交友関係や、歴史的な交錯とも言うべき邂逅は、世界史の断片的な知識では捉え得ないものです。
著者は、プリンキピアが書かれなかったら文明の発達は優に50年は遅れ、われわれはいまだ第二次世界大戦直後の状態にあったろうと指摘しています。
ここに、数学や自然科学の人類にとっての必要性と、それに携わるものとしての著者の自負が感じられます。
なお本書には多くの数学の定理名や専門用語が登場しますが、その意味を知らなくとも楽しく読み進めることができます(私も専門用語の意味するところはほとんど分かりませんでした)。
(*1)ハレー彗星の発見者:1656-1742。プリンキピアの刊行に大きく貢献した。
(*2)バネに関するフックの法則で有名:1635-1703。ニュートンの論敵であった。
(*3)ロンドン大火後の都市計画を先導した建築家:1632-1723。

(2007/8)

わが心の故郷 アルプス南麓の村

ヘルマン ヘッセ (著),フォルカー ミヒェルス(編集)「わが心の故郷 アルプス南麓の村 」(草思社)
本書は、ヘッセが人生の後半を過ごしたスイス南部のテッスィーン地方への思いを綴ったもので、エッセイ、詩、スケッチ画が収められています。
スイスのテッスィーン地方は、イタリア国境に近いアルプス南麓に位置し、ヨーロッパ有数のリゾート地として知られたところです。
ドイツでの第一次大戦への反戦活動の挫折、経済的な困難等で消耗したヘッセは、家族を置いて風光明媚なテッスィーンに移住し、著述に専念する生活に戻ります。
美しい風景に囲まれて、詩人という本来の自己のあり方を取り戻すことによって、ヘッセの精神は癒され、再び生産的になって作品を生みだして行きます。
ヘッセがこの地に移住したのは1919年でしたが、その後1962年に亡くなるまでの40年以上をここで過ごすことになります。
「晩夏は一日また一日とあふれるばかりの  心地よい暖かさを贈ってくれる ・・・  ・・・  私たち老人は 果樹垣に沿ってとり入れをし  日に焼けた褐色の手をあたためる  昼がまだ笑っている まだ終わりにはならない  今日とここがまだ私たちを引き止め よろこばす」  (「晩夏」より)
自分らしく生きられる永住の地を見つけ、落ち着いた心で後半生を過ごしている充実感や喜びが、作品から伝わってきます。
詩人に限らず、終の棲家とはこうありたいものです。

ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)・・・ドイツ生まれの詩人、文学者。1946年にノーベル文学賞を受賞。詳しくはHermann Hesse Portal(日本語) http://www.hermann-hesse.de/jp/index.htm。

(2007/8)