遥かなるケンブリッジ

藤原 正彦 (著)

名エッセイ「若き数学者のアメリカ」、「国家の品格」の藤原正彦氏(1943-)のイギリス滞在記です。
文部省の長期在外研究員として、1987年から約1年の予定でケンブリッジ大学に赴いたときの出来事を綴ったもので、今回は妻子を連れての滞在です。「私は研究に専念するため、妻子を連れて来た」という言葉に、氏の人間性がうかがわれます。
「若き数学者のアメリカ」で描かれた初めての外国暮らしの時と比べ、全体に気負いが少なく、落ち着いた調子が感じられます。
郊外に広がる田園の見事さ、古いものを大切にする生活様式、米語とはリズムの異なる英語、階級社会の実態等、老大国とよばれるイギリスの姿が生き生きと描かれています。
例えば、藤原氏がカレッジの芝生の見事さをほめると、案内してくれたリチャード博士は「四百年ほど丁寧な手入れを続ければこうなる」とさらりという。このような会話の端々にイギリス人の自国の伝統に対する絶対の自身があらわれています。
オックスフォードとケンブリッジの比較や、多くの数学者や住民との出会いや交流が展開しますが、次男が学校でいじめに合うという事件が発生し、この出来事について合わせて3章を費やし、階級社会や人種差別といった負の側面が描かれています。
締めくくりとして、イギリスとイギリス人に対する藤原氏の見解が述べられています。
「イギリス人は何もかも見てしまった人々」であり、「懐の深い熟年の美学」に魅かれるというのが、藤原氏のイギリス評となっています。

遥かなるケンブリッジ―一数学者のイギリス (新潮文庫 – 1994/6/29)

父の威厳 数学者の意地

藤原 正彦(著)「父の威厳 数学者の意地」 (新潮文庫1997/06)

藤原正彦(1943-)氏のエッセイ66編を文庫にまとめたものです。
2~3ページの短編が多く、話題は家族にまつわるものが中心となっています。

作家である父、新田次郎(1912-1980)と、母、藤原てい(1918-)の思い出、祖父の教え、妻と3人の子息との日常などが、藤原氏独特の躍動感ある文章で展開されており、飽きさせません。

最近のベストセラーとなった「国家の品格」で主張されている情緒の重視や武士道精神,
恥の文化といったテーマは、本書でも何度か説かれており、著者の一貫した信念であることがわかります。

そしてこのような信念や行動規範は、「藤原家伝来」のものであることが、父や祖父のエピソードから伝わってきます。

藤原氏の文章の魅力は、次の一文でも窺い知れるでしょう。

「買い物の愉しさは、無味乾燥な紙幣が、魅力いっぱいの品物に化けることにつきる。ほとんどドラマティックな変容である。汚ならしいお札を差出せば、欲する物は何でももらえるうえ、感謝までされる。これは純然たる力の行使であり、優越感であり、快感でもある。」(p87 買い物の愉しさ より)

自己の単純明解さの自覚と主張、時代の雰囲気への反抗、一方で繊細な感受性と情緒の表現など、氏の多様な人間性の魅力が文章から溢れています。

若き数学者のアメリカ

藤原正彦(著)「若き数学者のアメリカ」(新潮文庫)

ベストセラーとなった「国家の品格」の著者の初期の作品。日本エッセイストクラブ賞を受賞しています。
1972年、数学研究の留学生としてアメリカに招かれた著者は、気負いと不安を抱えながらハワイに降り立ち、ラスベガスで散財し、ミシガン大学に乗り込みます。アメリカ社会の中で様々な人々と出会ううちに、当初抱いていた敵愾心や「アメリカには涙の堆積がない」という印象から、「一瞬のうちにアメリカに恋をしてしまった」へと変化してゆく心の軌跡が、臨場感にあふれた文体で展開されています。またアメリカ社会に潜む問題点についても、深い考察が行われています。
今では海外旅行者数が1600万人(*1)を超え、海外留学者数も約8万人(*2)という現在では、アメリカに限らず外国で過ごし異文化と接触するということは、特別なことではなくなったようです
しかし、ガイドブックに紹介された有名観光地に行き、記念写真を撮り、土産を買って帰るだけでは、単に旅行商品を消費するだけの旅ではないでしょうか。留学にしても語学研修だけが目的では寂しいものです。
まったく違う言葉と習慣、文化の中で過ごすことは個人の意識に何らかの影響を与えるはずです。
著者の留学した時代と現代では環境が大きく変わっていますが、外国で暮らすということを、個人の内にある日本的なものと異文化の衝突ととらえ、自分自身と自分の国を見直すきっかけにしたいものです。
「若き数学者のアメリカ」の単行本が出版されたのは1977年ですが、その後文庫本が1981年に発売され現在も入手可能です。
著者独自の躍動感と瑞々しさにあふれた内容で、夏休みの読書に最適です。また「遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス 」もあり、こちらも合わせ読むと面白いでしょう。

(*1)社団法人日本旅行業協会の資料(日本人出国者数)。ちなみに著者が留学した1972年は139万人でした。
(*2)日本人の海外留学者数。ユネスコ文化統計年鑑。
(2007年7月20日)

古風堂々数学者

藤原 正彦(著)「古風堂々数学者」 (新潮文庫 2003/04)

藤原正彦氏のエッセイ集で、90年代後半のものが48編納められています。
あとがきで著者が述べていますが、当時はバブルの崩壊後で、グローバリズムの名のもとに価値観が変貌し社会のアメリカ化が進んだ時期です。
武士道と情緒を何よりも尊重する著者の悲憤も高まり、その思いは「国家の品格」につながります。

家族の日常、数学者のエピソードなど、様々な話題が取り上げられていますが、教育に関するものが多くなっています。

巻末に収められた「心に太陽を、唇に歌を」と題されたエッセイは、単行本化する際に書き下ろされたもので、著者の小学生時代の思い出を綴ったものです。

貧しい同級生への思いやり、人間味あふれる教師との関わり、そして弱きを助け強気を挫く著者のリーダーぶりが活写されており、藤原エッセイの原点を見る気がします。

当時の学校には、いじめがあり、貧しさもあったものの、社会全体を包み込む雰囲気は現代とは異なっています。
教育には、競争以上に大切なものがあることを教えてくれる秀作です。

(2008年6月12日)

天才の栄光と挫折 数学者列伝

藤原正彦(著)「天才の栄光と挫折 数学者列伝」
本書に登場する人物は、ニュートン、関孝和、ガロワ、ハミルトン、コワレフスカヤ、ラマヌジャン、チューリング、ワイル、ワイルズなど、歴史上偉大な発見をした数学者たちです。
これらの数学者たちの生涯を、時代背景や人間関係を踏まえて詳説したのが本書です。
その業績の紹介だけでなく、天才たちが生きた時代背景や、社会環境や家庭環境をつぶさに調べ上げ、歴史的な発見に至る過程を解き明かしてくれます。
著者は天才たちの生家や学舎を訪ね、彼らが生きた時代に思いを巡らせ、心の奥底まで推察します。著者の姿勢には、同じ数学者に対する共感ともいうべきものを感じます。
独特の臨場感と情緒に溢れた文体で、たとえ数学に興味がなくとも引き込まれるように読み進めることができ、天才と称される人々の人間像が鮮やかに浮かび上がってきます。
たとえば、ニュートンは再婚した母が住む教会の尖塔を思慕の念と怨念を込めて眺めていたのではないか、そしてそれがニュートンを宇宙の仕組みを通して神の声を聞くという態度に向かわせたのではないかと推察します。
本書を読むと、多くの数学者たちが家庭的、経済的、あるいは精神的に様々な困難を抱えていたこと、その発見が天才の閃きというより、超人的な努力と集中力の継続の上に成し遂げられたことがわかります。
天才といえども、軽々と歴史的な発見をした訳ではないのです(「数学の神様は自分に払われた犠牲より大きい宝物を決して与えない」コワレフスカヤの章より)。
もうひとつ興味深いのは、歴史上には発明・発見の世紀(時代)と呼ぶべき輝かしい瞬間が存在するということです。
プリンキピアの発行を渋っていたニュートン(1642-1727)に対して、ハレー(*1)、フック(*2)、レン(*3)などの働きかけが大きな影響を与えたこと、あるいはロシアのコワレフスカヤ(1850-1891)のドストエフスキー(1821-1881)への思慕の念など、様々なエピソードが紹介されています。
このような傑出した人物たちの交友関係や、歴史的な交錯とも言うべき邂逅は、世界史の断片的な知識では捉え得ないものです。
著者は、プリンキピアが書かれなかったら文明の発達は優に50年は遅れ、われわれはいまだ第二次世界大戦直後の状態にあったろうと指摘しています。
ここに、数学や自然科学の人類にとっての必要性と、それに携わるものとしての著者の自負が感じられます。
なお本書には多くの数学の定理名や専門用語が登場しますが、その意味を知らなくとも楽しく読み進めることができます(私も専門用語の意味するところはほとんど分かりませんでした)。
(*1)ハレー彗星の発見者:1656-1742。プリンキピアの刊行に大きく貢献した。
(*2)バネに関するフックの法則で有名:1635-1703。ニュートンの論敵であった。
(*3)ロンドン大火後の都市計画を先導した建築家:1632-1723。
(2007/8)