文明の旅

森本 哲郎(著)「文明の旅―歴史の光と影」(新潮社)

初版は1967年、古典に分類してよい本かもしれません。
森本哲郎(1925-)氏が1963年から1965年にかけて、朝日新聞の特派員として旅した世界を、味わい深い文章で綴る名著です。
著者の旅は、アルジェリアのオランから始まり、古代の都バビロン、ヨルダンの赤い都ペトラ、ギリシャ、エジプトを経て、アフリカ、インド、ヨーロッパ各地におよびます。
かつて栄華を極めた地域の多くが、年月とともに変容した姿で著者を迎えます。
サブタイトルの「歴史の光と影」は、かつての繁栄(光)と現在の姿(影)を示しています。
単なる紀行文ではなく、その土地の歴史に思いを巡らせ、文明や人間の営みに対しての深い思索が展開されています。
1960年代といえば、まだ海外旅行もめずらしい時代でした。必然的に、旅への思い入れも深くなります。
著者の新聞社特派員(当時)という肩書から推察されるような、ジャーナリスティックな雰囲気は感じられません。
旅の出来事を伝えながら、過去に思いを馳せ、さまざまな文献を引用し、歴史とは何かを考えさせてくれます。しめくくりはニーチェの引用となっています。
誠実で表現力に富んだ文体を通して、本書が出版された40年前の時代の雰囲気も伝わってきます。
観察、内省、表現・・・精神の豊穣な時代でした。

絶版ですが、オークションや古書店で入手可能です。

(2008年1月30日)

生き方の研究

森本 哲郎 (著)「生き方の研究」(PHP文庫)

古今東西の先人の生き方をたどることにより、生き方について深く考えるように促してくれる本です。

本書(PHP文庫)は、新潮選書として「正」(1987年)と「続」(1989年)が刊行されたものを、1冊にまとめ文庫化したものです。

登場するのは、古代ローマ時代のセネカに始まり、陶淵明、与謝蕪村、カント、兼好法師、シュリーマン、アインシュタイン、正岡子規、老子、小野小町、キケロ、石川啄木、白楽天、北斎、孔子など、39人に及びます。実在の人物だけでなく、ロビンソン・クルーソーや坊ちゃんなど、小説の主人公も登場します。

本書の特徴は、「かく生きるべし」という規範的な偉人伝に終わっていないことです。

各章には「人生の短さについて-セネカ」、「よき晩年について-王安石」というようにさまざまなテーマが設けられています。

最初に著者から問題提起がなされ、読み進むうちに著者とともに考えるよう促され、そこに先人が生きた事例として登場するという絶妙の構成になっています。

著者は、カントの三批判書(*1)に挑戦した学生時代や、シュリーマンの発掘の舞台を訪れたときの体験などを思い起こしながら、深く思索を巡らし、「生き方の研究」を展開しています。

血の通った人生論であり、充実した読後感が得られる良書です。

(2007年11月28日)

二十世紀を歩く

森本 哲郎 (著)「二十世紀を歩く」(新潮選書 1985/10刊)

本書が出版されたのは1985(昭和60)年、二十世紀も残り15年というときです。
二十世紀がどのように幕を閉じるのか、そして二十一世紀がどのように幕を開けるのか、本書は歴史にその手がかりを得ようとした、探求の書であるといってよいでしょう。

森本哲郎氏(1925-)は、二十世紀に起きたおもな出来事や事件を手がかりに、時代の本質に迫ります。

取り上げられているテーマは、知識人による討議(ニース:1935年「現代人の形成」、東京1942年:「近代の超克」)、幻滅に終わったジイドのソヴィエト旅行、フォード主義とアメリカ文明、自動車革命、巨大都市、大衆社会、情報化社会など、広範な分野に及んでいます。

このうち情報化社会の章では、情報社会と情報化社会を区別したうえで、その本質的な問題を指摘します。
情報化社会は、「これまで人間が努力したすえに生みだしてきた知恵を単なる知識のレベルに降格させ、それをさらに単なる情報の次元へと解消させつつあるのだ」。

森本氏が指摘するように、二十世紀を特徴づける最大の事件は、二度の世界大戦と科学・技術の急速な発展であり、それによって人間がすっかり変質したことが二十世紀の本質であると思います。

随所に東西冷戦の影が見え隠れします。
節目の世紀と対峙して、森本氏はじめ多くの知識人が「存続か絶滅か」という切迫した危機感を抱いていたことが伝わってきます。

(2008年2月28日)