人は成熟するにつれて若くなる

ヘルマン・ヘッセ (著),フォルカー・ミヒェルス (編集),岡田 朝雄(訳)「人は成熟するにつれて若くなる」(草思社)

ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)の人生後半期の知恵が凝縮された一冊です。

エッセイと箴言、詩、子息マルティーンの撮影したヘッセの写真から構成されています。

ヘッセの85年の生涯のうち、ほぼ後半生の著作から編纂されたものであり、老境に向かう不安や恐れとともに、老いることにも積極的な意味を見いだす態度が表現されています。

やはりヘッセの文章がすばらしく、翻訳であっても、その世界を十分に味わうことができます。

「四十歳から五十歳までの十年間は、情熱ある人びとにとって、芸術家にとって、常に危機的な十年であり、生活と自分自身とに折り合いをつけることが往々にして困難な不安の時期であり、たび重なる不満が生じてくる時期である。しかし、それからおちついた時期がやってくる。・・・興奮と戦いの時代であった青春時代が美しいと同じように、老いること、成熟することも、その美しさと幸せをもっているのである。」

ヘッセの日常を偲ばせる多くの写真も興味深いものです。畑仕事に精を出す姿や散歩する姿、孫と戯れる姿などが撮影されています。

1947年、ノーベル賞受賞の翌年に撮影されたポートレートは厳しい眼差しをしており、孤高とも感じられる人柄が伝わってきますが、晩年は落ち着いた柔和な表情を見せています。

「全ての詩人の努力の目標は、人生の夕べにヘルマン・ヘッセのような顔を持つことである。」(編者あとがき より)
(2007年11月14日)

生き方の研究

森本 哲郎 (著)「生き方の研究」(PHP文庫)

古今東西の先人の生き方をたどることにより、生き方について深く考えるように促してくれる本です。

本書(PHP文庫)は、新潮選書として「正」(1987年)と「続」(1989年)が刊行されたものを、1冊にまとめ文庫化したものです。

登場するのは、古代ローマ時代のセネカに始まり、陶淵明、与謝蕪村、カント、兼好法師、シュリーマン、アインシュタイン、正岡子規、老子、小野小町、キケロ、石川啄木、白楽天、北斎、孔子など、39人に及びます。実在の人物だけでなく、ロビンソン・クルーソーや坊ちゃんなど、小説の主人公も登場します。

本書の特徴は、「かく生きるべし」という規範的な偉人伝に終わっていないことです。

各章には「人生の短さについて-セネカ」、「よき晩年について-王安石」というようにさまざまなテーマが設けられています。

最初に著者から問題提起がなされ、読み進むうちに著者とともに考えるよう促され、そこに先人が生きた事例として登場するという絶妙の構成になっています。

著者は、カントの三批判書(*1)に挑戦した学生時代や、シュリーマンの発掘の舞台を訪れたときの体験などを思い起こしながら、深く思索を巡らし、「生き方の研究」を展開しています。

血の通った人生論であり、充実した読後感が得られる良書です。

(2007年11月28日)

第三の波

アルビン・トフラー(著),徳岡 孝夫 (訳)「第三の波」 (中公文庫)

社会の構造的変化をダイナミックに捉え、その本質に迫る筆致を得意とするアルビン・トフラー(1928 – )の代表作です。
単行本は1980年の出版ですから、パソコンもインターネットも普及する前の時代です。トフラーの未来予測はどの程度当たったのでしょうか。

トフラーは時代の変革を「波」の概念でとらえ、第一の波は「農業革命」、第二の波は「産業革命」、そして第三の波は「脱産業化」と分類しています。
本書が執筆された当時は、ちょうど第二の波の社会(煙突型産業による大量生産・大量流通・都市の成立・規格化・同時化)から、第三の波の社会への移行期にあり、この変革は歴史上最大のものであると指摘しています。

このような時代変革の影響は、産業・生活・文化芸術など多方面に及びます。

例えば、第二の波の社会の到来によって、多くの聴衆を一ヶ所に集めて音楽を興行する必要が生じたために、大音量のオーケストラが考案されたというように、芸術さえも変革の影響から免れることはできないわけです。
そして、第三の波への移行ではさらに大規模で広範な変化が起こり、波頭がぶつかって砕けるように、旧勢力と新勢力の衝突や混乱が生じていると捉えています。

トフラーが予測した変革の多くは、現実のものとなっています。

「特別な教育を受けた専門家の手を必要としない安くて小型のコンピューターは、やがてタイプライターのように、どこにでも見られる存在になるであろう。」(第14章情報に満ちた環境 より)

またトフラーは、「マス・カスタマイゼーション」や、「生産=消費者(プロシューマー:Producer+Consumer)」という造語を用いて、消費者が製品の企画段階から参加するような、新しい産業の姿を予測していました。

トフラーの描いた未来の多くは現実のものとなりました。

その一方で、トフラーの予測を超えて進行したものもあります。その代表はインターネットでしょう。
WWW(World Wide Web)が登場するのは、「第三の波」から12年後の1992年です。

(2007年11月30日)

借りのある人、貸しのある人

フランチェスコ アルベローニ(著),泉 典子 (翻訳)「借りのある人、貸しのある人」草思社

硬めの本が続いたので、今回はちょっと趣向を変えてみました。
イタリアの著名な社会学者でベストセラー作家でもあるフランチェスコ アルベローニによる人間性に関するエッセイ集です。
著者は様々なタイプの「人」について考察しています。その一部を紹介すると、
・自信を失わせる人
・精神が衰えない人
・新たな道を切り開く人
・すべてを明日に延ばす人
・再出発ができる人
といった見出しで、49タイプが紹介されています。
しかし、どのタイプが良い人で、どのタイプがダメな人か、といった人物鑑定的な読み方をされるのは著者の本意ではないはずです。
本書を何度か読み返すうちに、世の中には様々なタイプの人がいて、思考や行動がかくも違うものかという、人間の多様性に気づかされます。
自分がどのタイプに近いか考えてみることで、自己を見つめなおすきっかけにもなるでしょう。
また本書は、人生論としても傾聴に値する内容が多々含まれています。

「・・・どんな失敗も挫折も、私たちのすべてにかかわるものではない。それはあくまでも計画のひとつ、恋愛のひとつ、夢のひとつの挫折にすぎない。そして私たちは、たとえ自覚していなくても、計画だの希望だの以上の何かなのである(「失敗してもくじけない人」より)。」

つまり、計画がうまく行かなかったり、万一会社が潰れたとしても、くよくよすることはないよ、ということです。
(2007年7月25日 11:48) | 個別ページ | コメント(0)

若き数学者のアメリカ

藤原正彦(著)「若き数学者のアメリカ」(新潮文庫)

ベストセラーとなった「国家の品格」の著者の初期の作品。日本エッセイストクラブ賞を受賞しています。
1972年、数学研究の留学生としてアメリカに招かれた著者は、気負いと不安を抱えながらハワイに降り立ち、ラスベガスで散財し、ミシガン大学に乗り込みます。アメリカ社会の中で様々な人々と出会ううちに、当初抱いていた敵愾心や「アメリカには涙の堆積がない」という印象から、「一瞬のうちにアメリカに恋をしてしまった」へと変化してゆく心の軌跡が、臨場感にあふれた文体で展開されています。またアメリカ社会に潜む問題点についても、深い考察が行われています。
今では海外旅行者数が1600万人(*1)を超え、海外留学者数も約8万人(*2)という現在では、アメリカに限らず外国で過ごし異文化と接触するということは、特別なことではなくなったようです
しかし、ガイドブックに紹介された有名観光地に行き、記念写真を撮り、土産を買って帰るだけでは、単に旅行商品を消費するだけの旅ではないでしょうか。留学にしても語学研修だけが目的では寂しいものです。
まったく違う言葉と習慣、文化の中で過ごすことは個人の意識に何らかの影響を与えるはずです。
著者の留学した時代と現代では環境が大きく変わっていますが、外国で暮らすということを、個人の内にある日本的なものと異文化の衝突ととらえ、自分自身と自分の国を見直すきっかけにしたいものです。
「若き数学者のアメリカ」の単行本が出版されたのは1977年ですが、その後文庫本が1981年に発売され現在も入手可能です。
著者独自の躍動感と瑞々しさにあふれた内容で、夏休みの読書に最適です。また「遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス 」もあり、こちらも合わせ読むと面白いでしょう。

(*1)社団法人日本旅行業協会の資料(日本人出国者数)。ちなみに著者が留学した1972年は139万人でした。
(*2)日本人の海外留学者数。ユネスコ文化統計年鑑。
(2007年7月20日)

高原好日―20世紀の思い出から

加藤 周一(著) 「高原好日―20世紀の思い出から」 (信濃毎日新聞社 2004/07)

評論家加藤周一(1919-)氏が、軽井沢や追分村など浅間山麓を舞台に、人々との交遊を綴った随筆集で、信濃毎日新聞の連載を単行本化したものです。

登場するのは70人、堀辰雄、福永武彦、中村真一郎、野上弥生子、伊藤整などの文人をはじめ、磯崎新、武満徹、丸山真男、池田満寿夫など、文化・芸術・学問の幅広い世界に渡っています。
また、一茶、佐久間象山、巴御前など、歴史上の人物との架空の問答もあります。

加藤氏の追分村の思い出は、少年時代に夏休みを家族で過ごす習慣から始まり、著書「羊の歌」でも美しく回想されています。
氏は、追分や浅間高原への思いを、次のように綴っています。

「故郷とは感覚的=知的な参照基準としての空間である。私にとっての浅間高原は、生涯を通じてそこへたち帰ることをやめなかった地点であり、そこに『心を残す』ことなしにはたち去ることのなかった故郷でもあるだろう」(前口上より)

論理と情緒が融合した、加藤氏の文章の魅力が感じられると思います。

(2008年6月 5日)

老年について

キケロ ー(著),中務哲郎(訳)「老年について」 (岩波文庫 2004/01)

古代ローマ時代の学者・政治家・弁論家キケロー(前106―前43)が、二人の若者を前にして語るという想定で書かれた対話編です。
老年が惨めなもの思われる理由として、老年は(1)公の活動から遠ざけること、(2)肉体を弱くすること、(3)ほとんど全ての快楽を奪い去ること、(4)死から遠く離れていない、をあげて、これらの理由が本当かどうか検証するという構成で対話が進みます。
キケローの言葉には、自信が満ちあふれています。

「幸せな善き人生を送るための手だてを何ひとつ持たぬ者にとっては、一生はどこを取っても重いが、自分で自分の中から善きものを残らず探し出す人には、自然の掟がもたらすものは、一つとして災いと見えるわけがない」(p13)。

「老年を守るに最もふさわしい武器は、諸々の徳を身につけ実践することだ。生涯にわたって徳が洒養されたなら、長く深く生きた暁に、驚くべき果実をもたらしてくれる。徳は、その人の末期においてさえ、その人を捨てて去ることはないばかりか・・・人生を善く生きたという意識と、多くのことを徳をもって行ったという思い出ほど喜ばしいことはないのだから」(p17)。

「束の間の人生も善く生き気高く生きるためには十分に長いのだ」(p66)

ではどうすればこのような輝かしい老年期を迎えることができるのでしょうか。

「熱意と勤勉が持続しさえすれば、老人にも知力はとどまる」(p27)。

「わしがこの談話全体をとおして褒めているのは、青年期の基礎の上に打ち建てられた老年だということだ」(p61)

幸せな老年はひとりでにやってくるわけではなく、青年期からの生き方によって決まるということです。

若い世代にこそ読んでほしい本です。

(2008年6月10日)

自省録

マルクス・アウレーリウス(著),神谷 美恵子(訳)「自省録」 (岩波文庫 2007/02)

アウレーリウス(121‐180)は、古代ローマ五賢帝時代(96-180)の最後を締めくくる皇帝で、ストア派の哲人としても歴史に名を残した人物です。

本書は、アウレーリウスがまさに自省のために書きためたもので、古来多くの人に読まれ多大な影響を及ぼしてきました。

200ページほどのなかに、人間も宇宙の一部であるというストア学派を基本とした世界観、人生観、死生観が展開されています。

また、「公益」に資する生き方が強調されているのは、五賢帝の面目躍如といったところです。

「今こそ自覚しなくてはならない、君がいかなる宇宙の一部分であるか、その宇宙のいかなる支配者の放射物であるかということを。そして君には一定の時の制限が加えられており、その時を用いて心に光明をとり入れないなら、時は過ぎ去り、君も過ぎ去り、機会は二度と再び君のものとならないであろうことを」(第2章 4)

「ほかのものは全部投げ捨ててただこれら少数のことを守れ。それと同時に記憶せよ、各人はただ現在、この一瞬間にすぎない現在のみを生きるのだということを」(第3巻 10)

「あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ」(第4章 17)

「君の肉体がこの人生にへこたれないのに、魂のほうが先にへこたれるとは恥ずかしいことだ」(第6巻 29)

一文一句が、圧倒的な説得力を持って迫ってきます。

人生論は、これ一冊を読めば事足りるといって良いかもしれません。

(2008年6月11日)

古風堂々数学者

藤原 正彦(著)「古風堂々数学者」 (新潮文庫 2003/04)

藤原正彦氏のエッセイ集で、90年代後半のものが48編納められています。
あとがきで著者が述べていますが、当時はバブルの崩壊後で、グローバリズムの名のもとに価値観が変貌し社会のアメリカ化が進んだ時期です。
武士道と情緒を何よりも尊重する著者の悲憤も高まり、その思いは「国家の品格」につながります。

家族の日常、数学者のエピソードなど、様々な話題が取り上げられていますが、教育に関するものが多くなっています。

巻末に収められた「心に太陽を、唇に歌を」と題されたエッセイは、単行本化する際に書き下ろされたもので、著者の小学生時代の思い出を綴ったものです。

貧しい同級生への思いやり、人間味あふれる教師との関わり、そして弱きを助け強気を挫く著者のリーダーぶりが活写されており、藤原エッセイの原点を見る気がします。

当時の学校には、いじめがあり、貧しさもあったものの、社会全体を包み込む雰囲気は現代とは異なっています。
教育には、競争以上に大切なものがあることを教えてくれる秀作です。

(2008年6月12日)

グーグル・アマゾン化する社会

森 健 (著)「グーグル・アマゾン化する社会」 (光文社新書 2006/9)

インターネット社会の主役として君臨する、グーグルとアマゾンについて、その現状と影響力を分析し、ネットワーク理論の観点からその本質に迫った書です。

前半は、インターネット上の多様化と一極集中の現象や、Web2.0についての解説があり、続いてグーグルとアマゾンの成功の要因が分析されます。そしてスケールフリーネットワークという視点から、一極集中が進む仕組みが解きあかされます。

スケールフリーネットワークの解説では、No.69で紹介したアルバート・ラズロ・バラバシの「新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く」が基礎となっており、理論的な深みがあります。

大いに喧伝された「ロングテール現象」といっても、勝者はその一部にすぎないこと、また、すべての情報を検索可能にしようとしているグーグルの圧倒的な力など、ネットワークの拡大が個人の生活や購買行動に及ぼす影響力の大きさがわかります。

便利さばかりに依存して良いのかという、問題提起の書でもあります。

(2008年6月19日)