人は心の中で考えたとおりの人間になる

ジェームズ・アレン (著),薛 ピーター(訳)「人は心の中で考えたとおりの人間になる」(サンガ新書 2008/01)

生きるために本当に必要なことは、正しい思考であるというきわめてシンプルな原則を説いた本です。

著者のジェームズ・アレン(1864-1912)はイギリス生まれの哲学者で、本書「AS A MAN THINKETH」は、世界中で読まれ続けています。

幸不幸も、成功も、健康も、すべての原因は本人の考えの結果であり、環境は関係ないということです。
よい考えをもってすごせばよい人生が開け、悪い考えをもってですごせば悪い人生になる、言いかえれば、善因善果・悪因悪果に尽きるということでしょう。
どんな思考も、浮かんではただ消えていくものではなく、心の中に堆積し、かならず何らかの影響を及ぼすとすれば、思考が人生の鍵となることは納得できます。

全編にわたり、詩的で、穏やかな雰囲気に包まれた本です。

「あなたの理想は、
あなたがいつかそうなるという約束です。
あなたの理想は、
あなたが何になるかの予言です。」(P142 「夢と理想」より)

本書は対訳本なので、原文の表現を味わうこともできます。

(2008年3月17日)

地獄は克服できる

ヘルマン ヘッセ (著), フォルカー ミヒェルス (編),岡田 朝雄(訳)「地獄は克服できる」 (単行本 2001/01刊)

ヘッセの著作は3冊目の紹介となります(No.22「わが心の故郷 アルプス南麓の村 」、No.79「人は成熟するにつれて若くなる」)。この書も同じ編者・訳者による詩文集で、草思社から発行されています。

文豪ヘッセに似つかわしくないタイトルですが、これは次の文章からの引用です。

「地獄を目がけて突進しなさい。地獄は克服できるのです」(p119「断章11 1933年頃」)

ヘッセの人生は(特に40歳頃までの前半生は)、悩み、挫折、社会の無理解や敵意に苦しめられたものであったことはよく知られています。
本書はヘッセ自身が悩みと苦しみのなかで、何を考え、どのようにして心の平安を見出そうとしたのか、その苦闘の記録といってもよいでしょう。

全体的に重く深刻な文章が多くなっていますが、老年のヘッセが時おり見せる穏やかな表情と、ある達観に救われる気がします。

ヘッセほどではないにしろ、取り越し苦労が多い私のような人間は、次の文章に大いに考えさせられました。

「彼の生涯が、ひとつの高い山脈の尾根から見渡せる。森や谷間や村などのある一帯の土地のように、彼の眼前に広がっていた。何もかも申し分なかったのであった。素朴で、よいものであった。そして何もかもが彼の不安のせいで、彼の抵抗のせいで、苦痛と葛藤に、悲嘆と悲惨の身の毛もよだつ狂乱と危機に化したのであった!」

老年のヘッセは、穏やかでよい表情をしています。運命に歩調を合わせて生きることによって、地獄を克服する術を身に付けたのかもしれません。

(2008年3月12日)

二十世紀を歩く

森本 哲郎 (著)「二十世紀を歩く」(新潮選書 1985/10刊)

本書が出版されたのは1985(昭和60)年、二十世紀も残り15年というときです。
二十世紀がどのように幕を閉じるのか、そして二十一世紀がどのように幕を開けるのか、本書は歴史にその手がかりを得ようとした、探求の書であるといってよいでしょう。

森本哲郎氏(1925-)は、二十世紀に起きたおもな出来事や事件を手がかりに、時代の本質に迫ります。

取り上げられているテーマは、知識人による討議(ニース:1935年「現代人の形成」、東京1942年:「近代の超克」)、幻滅に終わったジイドのソヴィエト旅行、フォード主義とアメリカ文明、自動車革命、巨大都市、大衆社会、情報化社会など、広範な分野に及んでいます。

このうち情報化社会の章では、情報社会と情報化社会を区別したうえで、その本質的な問題を指摘します。
情報化社会は、「これまで人間が努力したすえに生みだしてきた知恵を単なる知識のレベルに降格させ、それをさらに単なる情報の次元へと解消させつつあるのだ」。

森本氏が指摘するように、二十世紀を特徴づける最大の事件は、二度の世界大戦と科学・技術の急速な発展であり、それによって人間がすっかり変質したことが二十世紀の本質であると思います。

随所に東西冷戦の影が見え隠れします。
節目の世紀と対峙して、森本氏はじめ多くの知識人が「存続か絶滅か」という切迫した危機感を抱いていたことが伝わってきます。

(2008年2月28日)

生物と無生物のあいだ

福岡 伸一 (著)「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)

分子生物学という、最先端の科学のおもしろさを伝えてくれる本です。
テーマは、生命とは何か、生物を無生物から区別するものは何かということです。
著者は、「生命とは自己複製を行うシステム」という通説に満足せず、動的平衡論という視点から生命の本質に接近します。

プロローグの文章を読んだだけで、著者の豊かな感性や人間性がうかがわれ、一般の科学書とは異なる詩的な雰囲気が伝わってきます。

「川面を吹き渡ってくる風を心地よく感じながら、陽光の反射をかわして水のなかを覗き込むと、そこには実にさまざまな生命が息づいていることを知る。水面から突き出た小さな三角形の石に見えたものが亀の鼻先だったり、流れにたゆたう糸くずと思えたものが稚魚の群れだったり、あるいは水草に絡まった塵芥と映ったものが、トンボのヤゴであったりする」(プロローグ より)

著者は、DNAの自己複製の仕組みをわかりやすく説明したかと思うと、研究者の姿を活写し、そこに自らの研究生活を重ねて語るというように、読者をさまざまな世界に連れていきます。

あたかもDNAの二重らせん構造のように、分子生物学の解説と研究者の人物伝が美しく重なり合います。
このような変化に富んだ展開により、最先端の科学を扱いながらも、読者を飽きさせずに引き込む効果をあげていると思います。
時間の経つのを忘れて一気に読まされてしまう本です。

(2008年1月17日)
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マイクロソフトでは出会えなかった天職

ジョン・ウッド(著),矢羽野薫 (訳)「マイクロソフトでは出会えなかった天職 – 僕はこうして社会起業家になった」

マイクロソフト社の幹部としてまさに世界を股に掛ける毎日を送っていた著者が、休暇をとって訪れたネパールで、教育を受けたくても学校が足りず、本を読みたくても旅行者の残していった本がわずかしかないという、途上国の教育の現実に直面します。

「あなたはきっと、本を持って帰ってきてくださると信じています」という現地の校長との約束を果たすために、著者はさっそく知り合いにメールを発し、行動を開始します。
そして将来の約束されたマイクロソフトを辞し、価値観の異なる恋人とも分かれ、社会起業家としての道を歩むことになります。

「物質的な富があるかどうかは関係ない。本当に大切なのは-その富を使ってなにをするかだ」(第2章 ロウソクの下でアイデアが燃え上がる より)
約束通り、著者は本を携えてネパールを再訪します。
出迎えの人々との交流の場面では、著者の喜びが伝わってきて胸が熱くなります。

本書を読むと、著者の熱意と行動力に圧倒されます。(*1)
設立したNPO「ルーム・トゥ・リード」が、2007年6月までに建設した学校は287校、図書館3,540カ所、届けた本は140万冊にのぼるということです。
「できないではなく、どうすればできるか」を考えること、それが著者の行動の基本になっています。

そして、マイクロソフト時代の経験・ノウハウを十分に活かして、成果につながるNPOのビジネスモデルを構築したことに感心します。
たとえば、活動資金は篤志家の寄付に拠るところが多いのですが、寄付した人が自分の寄付金が何に使われたのかが分かるように、建設した学校の命名権を付与するという仕組みを取り入れています。

また「NPOのマイクロソフトをめざす」という章では、結果最重視の姿勢、行動の重視、人を攻撃しない、具体的な数字に基づく、忠誠心、といったマイクロソフト文化を、ルーム・トゥ・リードの運営に適用している著者の経営哲学が紹介されています。

ほとんどの人にとっては、著者のように、安定した仕事を辞めて社会貢献の道に進むことは困難でしょう。
しかし、このように生きている人もいると知ることで、何かが変わります。
この紹介文に興味を持った方は、ぜひ著書を購入して読んでほしい本です(それによって著者の活動に協力することにつながります)。

「節目の年齢に対する不安は、自分の人生にどれだけ満足しているかに関係するんだろうね。自分のやっていることが大好きで、いい友人と家族に囲まれていたら、四〇歳も五〇歳も六〇歳も、ただの数字にすぎない。不安になる理由なんかないよ」(エピローグ 人生の次の章へ より)。

(*1)原題は、”Leaving Microsoft to Change the World : An Entrepreneur’s Odyssey to Educate the World’s Children。原題のほうが著者の思いがストレートに表現されていますね。

(2008年1月15日)

ビジネスマンの父より息子への30通の手紙

G.キングスレイ ウォード (著)「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」
カナダ生まれのビジネスマン、キングスレイ・ウォードが息子たちに宛てて書いた手紙を、出版社に請われて1冊の本にまとめ、出版したものです。
手紙を書くきっかけとなったのは、著者が2度の心臓手術を受け、命に限りがあることを悟ったこと。財産の相続や事業の所有権について考えるとともに、子供たちに自分が実業界で苦労して学んだ教訓を伝えたいとの思いから書かれたということです。
「人がこの世を去るときには、その人とともに、経験から学んだ大量の知識がむざむざと闇に吸い込まれてしまう。」
著者はそんな思いから、大学生活、生活の心得、実業界で生きて行くための様々な教訓、困難な事態への対処の仕方などを、自らの経験を引き合いに出しながら、具体的に語っています。
手紙は子息が17歳の時に書き始められ、それから約20年間、会社を譲り渡す時まで書き続けられることになります。
全体を通じて強調されているのは、常に誠実であること、学習すること、勤勉に働くことによって成功がもたらされるということです。貪欲さへの戒めも語られています。
おそらく日本では、このような手紙が書かれることは少ないと思われます。
家訓などが代々伝えられる例はありますが、父親が子供に向けて経営の実務について、また人生全般について語りかける機会もあまりないでしょう。
活力を失わず持続的に成長する社会は、このような人生の智慧を継承することによってもたらされるのかもしれません。
30通目の手紙は、次の一文で締めくくられています。父親の愛情を集約した言葉です。
「わたしは霊魂の再来を信じないが、もし彼の地でそういうことがあるとわかったら、君の息子として送り返して欲しいと願うだろう。君の父親であったおかげで、すばらしい人生だった。(わたしの墓石にそう刻んでくれてもいい)。愛をこめて。 父さんより」
本書以外にも、「ビジネスマン、生涯の過し方」という著書があり、こちらは人間味溢れたビジネスマンのドラマとして楽しむことができます。

(2007)

風景との対話

東山魁夷(著)「風景との対話」(新潮選書)
日本画壇の巨匠、東山魁夷氏(1908-1999)の自叙伝です。
ブックカバーには、「私の制作と旅の生活を通じて、心の内奥の世界の遍歴を記録したのが、この書である」と記されています。 風景画家を志しながら、戦争による混乱や度重なる家庭の不幸に見舞われ、なかなか画壇に認められない頃の心の葛藤や、幼少時のさまざまな思い出とともに、「道」など代表的な作品の制作過程が、縒り合わさるように綴られています。 またドイツ、オーストリア、北欧、中国などの取材を綴った文章は、紀行文としても興味深く読むことができます。 全編から著者の絵画に対する真摯な態度、繊細な感受性、穏やかな人柄が伝わってきます。 八ヶ岳の美ヶ原高原に、厳冬期を生き延びて芒が細く立っている姿を発見したときのエピソードには、著者の人生観というべきものが語られています。 「やがて、再び春が廻ってくる。さて、あの芒は-雪が降ってきた時は、だんだん下から積って、そのまま倒れずにいるうちに、しまいには、すっぽりと雪の中に蔽いかくされてしまう。雪がとけると、頭のほうから出て来て、こうして春に残るのである。私はこの弱々しいものの、運命に逆わないで耐えている姿に感動した。」 氏の作品には、淡い色彩の中にどこか理想主義的な輝きを感じさせるものと、重い色彩の中に心の内に秘められた葛藤や苦悩を感じさせるものがあります。 多くの作品がどのような制作意図をもって描かれたのかを知ることができ、作品を鑑賞する楽しみも深まります。
(2007/08/06)

天才の栄光と挫折 数学者列伝

藤原正彦(著)「天才の栄光と挫折 数学者列伝」
本書に登場する人物は、ニュートン、関孝和、ガロワ、ハミルトン、コワレフスカヤ、ラマヌジャン、チューリング、ワイル、ワイルズなど、歴史上偉大な発見をした数学者たちです。
これらの数学者たちの生涯を、時代背景や人間関係を踏まえて詳説したのが本書です。
その業績の紹介だけでなく、天才たちが生きた時代背景や、社会環境や家庭環境をつぶさに調べ上げ、歴史的な発見に至る過程を解き明かしてくれます。
著者は天才たちの生家や学舎を訪ね、彼らが生きた時代に思いを巡らせ、心の奥底まで推察します。著者の姿勢には、同じ数学者に対する共感ともいうべきものを感じます。
独特の臨場感と情緒に溢れた文体で、たとえ数学に興味がなくとも引き込まれるように読み進めることができ、天才と称される人々の人間像が鮮やかに浮かび上がってきます。
たとえば、ニュートンは再婚した母が住む教会の尖塔を思慕の念と怨念を込めて眺めていたのではないか、そしてそれがニュートンを宇宙の仕組みを通して神の声を聞くという態度に向かわせたのではないかと推察します。
本書を読むと、多くの数学者たちが家庭的、経済的、あるいは精神的に様々な困難を抱えていたこと、その発見が天才の閃きというより、超人的な努力と集中力の継続の上に成し遂げられたことがわかります。
天才といえども、軽々と歴史的な発見をした訳ではないのです(「数学の神様は自分に払われた犠牲より大きい宝物を決して与えない」コワレフスカヤの章より)。
もうひとつ興味深いのは、歴史上には発明・発見の世紀(時代)と呼ぶべき輝かしい瞬間が存在するということです。
プリンキピアの発行を渋っていたニュートン(1642-1727)に対して、ハレー(*1)、フック(*2)、レン(*3)などの働きかけが大きな影響を与えたこと、あるいはロシアのコワレフスカヤ(1850-1891)のドストエフスキー(1821-1881)への思慕の念など、様々なエピソードが紹介されています。
このような傑出した人物たちの交友関係や、歴史的な交錯とも言うべき邂逅は、世界史の断片的な知識では捉え得ないものです。
著者は、プリンキピアが書かれなかったら文明の発達は優に50年は遅れ、われわれはいまだ第二次世界大戦直後の状態にあったろうと指摘しています。
ここに、数学や自然科学の人類にとっての必要性と、それに携わるものとしての著者の自負が感じられます。
なお本書には多くの数学の定理名や専門用語が登場しますが、その意味を知らなくとも楽しく読み進めることができます(私も専門用語の意味するところはほとんど分かりませんでした)。
(*1)ハレー彗星の発見者:1656-1742。プリンキピアの刊行に大きく貢献した。
(*2)バネに関するフックの法則で有名:1635-1703。ニュートンの論敵であった。
(*3)ロンドン大火後の都市計画を先導した建築家:1632-1723。
(2007/8)

わが心の故郷 アルプス南麓の村

ヘルマン ヘッセ (著),フォルカー ミヒェルス(編集)「わが心の故郷 アルプス南麓の村 」(草思社)
本書は、ヘッセが人生の後半を過ごしたスイス南部のテッスィーン地方への思いを綴ったもので、エッセイ、詩、スケッチ画が収められています。
スイスのテッスィーン地方は、イタリア国境に近いアルプス南麓に位置し、ヨーロッパ有数のリゾート地として知られたところです。
ドイツでの第一次大戦への反戦活動の挫折、経済的な困難等で消耗したヘッセは、家族を置いて風光明媚なテッスィーンに移住し、著述に専念する生活に戻ります。
美しい風景に囲まれて、詩人という本来の自己のあり方を取り戻すことによって、ヘッセの精神は癒され、再び生産的になって作品を生みだして行きます。
ヘッセがこの地に移住したのは1919年でしたが、その後1962年に亡くなるまでの40年以上をここで過ごすことになります。
「晩夏は一日また一日とあふれるばかりの  心地よい暖かさを贈ってくれる ・・・  ・・・  私たち老人は 果樹垣に沿ってとり入れをし  日に焼けた褐色の手をあたためる  昼がまだ笑っている まだ終わりにはならない  今日とここがまだ私たちを引き止め よろこばす」  (「晩夏」より)
自分らしく生きられる永住の地を見つけ、落ち着いた心で後半生を過ごしている充実感や喜びが、作品から伝わってきます。
詩人に限らず、終の棲家とはこうありたいものです。

ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)・・・ドイツ生まれの詩人、文学者。1946年にノーベル文学賞を受賞。詳しくはHermann Hesse Portal(日本語) http://www.hermann-hesse.de/jp/index.htm。
(2007/8)

鳥と語る夢

串田 孫一 (著) 「鳥と語る夢」
名エッセイストとして知られる串田 孫一氏(1915-2005)の随想集です。
氏は哲学者、詩人、登山家の顔を持ち、大学教授を退官後は著述に専念し、膨大な著作を残しました。
本書は、PHPなど様々な雑誌に発表された短編を中心にまとめられたものです。
どの文章も簡潔な表現の中に独自の世界が展開され、一行読むたびに深い余韻が残ります。
豊富な語彙の中から、これしかないと思われる語彙が慎重に選ばれることにより、絵画を鑑賞するような鮮やかなイメージが浮かび上がります。
例えば次の一文
「陽は北の海までたっぷりと頬照る顔をのぞかせている。此処も今は自然の仕組の大らかな回転に、長閑な夏の旋律を感じはじめている。 ・・・(中略)・・・ 岬は海をより広く見るために残された地点である。そこに立って地球を眺め、何かを祈る場所でもある。 雲が消え、波が鎮まって、迷いも去る。 そして明るい空に親しさを覚えながら、宇宙の意図までも全身に滲み渡る。」 (「憂念去る」より)
一語一語をゆっくり味わうように読むと、著者の文体の魅力がわかると思います。
日本語の持つ豊穣さを感じさせる本です。
夏の静かな高原のような爽やかな読後感が残ります。
(2007/07)