コンピュータが子供たちをダメにする

クリフォード ストール(著),倉骨 彰(訳)「コンピュータが子供たちをダメにする」 (草思社 2001/11)

「カッコウはコンピュータに卵を生む」「インターネットはからっぽの洞窟」などの著作で有名な、クリフォード・ストールが、教育とコンピュータについて述べた書です。
タイトルが示すように、教室にコンピュータを持ち込むことは、子供の考える力を奪ったり、読み書きの基本的な能力をうばったりと、むしろ有害な面が多いということが本書のテーマとなっています。

ただし著者は、反コンピュータ主義者ではなく、天文学者にしてコンピュータの専門家でもあり、コンピュータの有用性も認めた上で、一貫した論理でその問題点を主張しています。
インターネットから雑多な情報をかき集め、見栄えのする資料をまとめることは、学ぶという本質とは関係がないこと、またコンピュータの操作が楽しいとしても、学ぶことの喜びは得られないこと、短期間で陳腐化する機器への投資は無駄が多いことなど、多面的な批判が展開されています。

「学習とは情報を入手することではない。最大限の効率化を図ることでも、楽しむことでもない。学習とは人間の能力の発達を可能にすることだ。」(p42)

「マイクロソフト・ワードの使い方を学ぶことと、シェイクスピアの言葉(ワード)の使い方を学ぶことでは、どちらが大切だろうか」(p67)

著者が繰り返し述べているように、コンピュータそのものが悪いというのではなく、コンピュータへの過度の期待や依存が、教育上の多くの機会を奪ってしまうということ、子供が他人や世界の多様性に対する理解がなくなってしまうことが、問題の本質でしょう。

(2008年7月10日)

人生論ノート

三木清(著)「人生論ノート」(新潮文庫 改版版2000)

哲学者で「パスカルに於ける人間の研究」などの著作で知られる三木清による人生論です。長年多くの人に読み継がれています。

「死について」「幸福について」「懐疑について」「健康について」「希望について」など23の章から構成されています。
それぞれの章は数ページでまとめられており、折に触れて読み返すことができます。

「幸福は人格である。・・・幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である」
(幸福について より)

先人の知恵を引きながら、人生の諸問題に正面から向き合う真摯で敬虔な態度と、昭和初期の教養主義の雰囲気が感じられます。

(2008年7月30日)

アラン 幸福論

アラン(著) 串田孫一・中村雄二郎訳 「幸福論」(白水Uブックス)

「荒地を開墾すること。・・・だれでも自分を開墾することが必要だ。・・・この世界をひらくものは鉈と斧だ。それは夢想を犠牲にした並木道だ。前兆に対する挑戦のようなものだ。・・・眠っている魂たちよ、カッサンドラに気をつけろ。まことの人間は奮起して未来をつくる。」(「予言的な魂」より)
(2009年7月25日 11:08)

養老孟司の大言論〈1〉希望とは自分が変わること

養老 孟司(著)「養老孟司の大言論〈1〉希望とは自分が変わること」 新潮社

季刊雑誌の「考える人」に、9年間にわたり連載した文章をまとめた三部作の第一作目。

内容は、紀行や虫の話から、日本社会と個人に関する氏の思想の根幹に及び、エッセイよりも深みがある。

氏の基本的な態度である、世間の常識を問い直すことから、真の言論が始まることを教えてくれる。

「個人心理など存在しない」

「他人への理解が遅れると、人生が遅れる。私の場合、六十五歳で本が売れたのは、遅きに失した。なぜ人生が遅れたかというなら、他人を理解することが遅れたからである。」(「個人主義とはなんだ」より)

なるほど。

(2012年1月19日)

漢詩を読む 3-白居易から蘇東坡へ

宇野 直人(著),江原 正士(著)「漢詩を読む 3-白居易から蘇東坡へ」( 平凡社)

立秋前一日覽鏡(李益)

萬事銷身外     萬事身外に銷(き)え

生涯在鏡中     生涯は鏡中に在り

唯將滿鬢雪     唯滿鬢(りょうびん)の雪を將(も)って

明日對秋風     明日秋風に對(たい)せん

(2012年6月11日)

読書への旅

2007年7月18日 「読書室>>>本の薦め by Yasuhiko<<<」を"tdiary"で開始

2008年4月1日 「読書室>>>本の薦め<<< blog」 システムを"MovableType 4" に移行

2015年12月日 「読書への旅」 システムを”WordPress 4″ に移行、旧システムの投稿の一部を再掲

エッセンシャル思考

グレッグ・マキューン(著),高橋 璃子(翻訳)「エッセンシャル思考」(かんき出版)

情報禍社会への警鐘というだけはなく、本当に納得できる生き方をしたいと願う すべての人に薦める。
タイトルはビジネス書のように感じられるが、内容は生活全般における考え方や行動への示唆を含んでいる。よりよい仕事をするために、さらにはよりよい人生を送るためにも。

「人生はあまりに短い。それは悲しむよりも、むしろ喜ぶべきことに思える。短い人生だからこそ、勇気を出して冒険できる。間違いを恐れずにすむ。かぎられた時間の使い方を、よりいっそう厳密に選ぼうと思える。・・・『本当に重要なのは何か?』 それ以外のことは、全部捨てていい。」(第20章 未来 より)

(2015年2月10日)

人は心の中で考えたとおりの人間になる

ジェームズ・アレン (著),薛 ピーター(訳)「人は心の中で考えたとおりの人間になる」(サンガ新書 2008/01)

生きるために本当に必要なことは、正しい思考であるというきわめてシンプルな原則を説いた本です。

著者のジェームズ・アレン(1864-1912)はイギリス生まれの哲学者で、本書「AS A MAN THINKETH」は、世界中で読まれ続けています。

幸不幸も、成功も、健康も、すべての原因は本人の考えの結果であり、環境は関係ないということです。
よい考えをもってすごせばよい人生が開け、悪い考えをもってですごせば悪い人生になる、言いかえれば、善因善果・悪因悪果に尽きるということでしょう。
どんな思考も、浮かんではただ消えていくものではなく、心の中に堆積し、かならず何らかの影響を及ぼすとすれば、思考が人生の鍵となることは納得できます。

全編にわたり、詩的で、穏やかな雰囲気に包まれた本です。

「あなたの理想は、
あなたがいつかそうなるという約束です。
あなたの理想は、
あなたが何になるかの予言です。」(P142 「夢と理想」より)

本書は対訳本なので、原文の表現を味わうこともできます。

(2008年3月17日)

地獄は克服できる

ヘルマン ヘッセ (著), フォルカー ミヒェルス (編),岡田 朝雄(訳)「地獄は克服できる」 (単行本 2001/01刊)

ヘッセの著作は3冊目の紹介となります(No.22「わが心の故郷 アルプス南麓の村 」、No.79「人は成熟するにつれて若くなる」)。この書も同じ編者・訳者による詩文集で、草思社から発行されています。

文豪ヘッセに似つかわしくないタイトルですが、これは次の文章からの引用です。

「地獄を目がけて突進しなさい。地獄は克服できるのです」(p119「断章11 1933年頃」)

ヘッセの人生は(特に40歳頃までの前半生は)、悩み、挫折、社会の無理解や敵意に苦しめられたものであったことはよく知られています。
本書はヘッセ自身が悩みと苦しみのなかで、何を考え、どのようにして心の平安を見出そうとしたのか、その苦闘の記録といってもよいでしょう。

全体的に重く深刻な文章が多くなっていますが、老年のヘッセが時おり見せる穏やかな表情と、ある達観に救われる気がします。

ヘッセほどではないにしろ、取り越し苦労が多い私のような人間は、次の文章に大いに考えさせられました。

「彼の生涯が、ひとつの高い山脈の尾根から見渡せる。森や谷間や村などのある一帯の土地のように、彼の眼前に広がっていた。何もかも申し分なかったのであった。素朴で、よいものであった。そして何もかもが彼の不安のせいで、彼の抵抗のせいで、苦痛と葛藤に、悲嘆と悲惨の身の毛もよだつ狂乱と危機に化したのであった!」

老年のヘッセは、穏やかでよい表情をしています。運命に歩調を合わせて生きることによって、地獄を克服する術を身に付けたのかもしれません。

(2008年3月12日)

二十世紀を歩く

森本 哲郎 (著)「二十世紀を歩く」(新潮選書 1985/10刊)

本書が出版されたのは1985(昭和60)年、二十世紀も残り15年というときです。
二十世紀がどのように幕を閉じるのか、そして二十一世紀がどのように幕を開けるのか、本書は歴史にその手がかりを得ようとした、探求の書であるといってよいでしょう。

森本哲郎氏(1925-)は、二十世紀に起きたおもな出来事や事件を手がかりに、時代の本質に迫ります。

取り上げられているテーマは、知識人による討議(ニース:1935年「現代人の形成」、東京1942年:「近代の超克」)、幻滅に終わったジイドのソヴィエト旅行、フォード主義とアメリカ文明、自動車革命、巨大都市、大衆社会、情報化社会など、広範な分野に及んでいます。

このうち情報化社会の章では、情報社会と情報化社会を区別したうえで、その本質的な問題を指摘します。
情報化社会は、「これまで人間が努力したすえに生みだしてきた知恵を単なる知識のレベルに降格させ、それをさらに単なる情報の次元へと解消させつつあるのだ」。

森本氏が指摘するように、二十世紀を特徴づける最大の事件は、二度の世界大戦と科学・技術の急速な発展であり、それによって人間がすっかり変質したことが二十世紀の本質であると思います。

随所に東西冷戦の影が見え隠れします。
節目の世紀と対峙して、森本氏はじめ多くの知識人が「存続か絶滅か」という切迫した危機感を抱いていたことが伝わってきます。

(2008年2月28日)