生きるとはどういうことか

養老孟子(著)(筑摩eブックス 2023)

2003年からの20年間に自ら著した、単行本未収録のエッセイ集。

まえがきから、惹かれる。
「二十年前の自分はほぼ他人である。考え方の根本は変わっていないが、なにしろ当人がまじめに書いているので、今ならもっと気を抜いて書くところも、気を抜いていない。ただまっしぐらに思いを述べるという点が目立つ。・・・本書はすべて自分で書いている。それには体力が必要である。」

内容というか、思考の対象は、人生、環境、思考、脳・意識、世間、身体、教養と、やはり多様であり、この二十年間の世界の広範に及ぶ。

養老孟子氏の文章には、緻密に論理を積み上げるというより、飛び石を渡るような爽快感がある。

細かい説明で結論に導くことは、氏にいわせれば「ああ、面倒くさい」となるのであろう。

文脈を読み解き、思考の飛躍と思われる文体を読み解くことが、養老孟子氏の文章を楽しむことでもある。

「欲を去ったら、人生の目的がないじゃないか。そのとおりである。だらといって、欲をかいていい。そういう結論にはならない。この『欲をかく」は、欲を欠くではない。・・・欲を欠いたら、たしかに人生は灰色である。しかし欲は中庸でよろしい。理屈が中庸なのではない。中庸なのは欲である。理屈を中庸にすると、理屈が役に立たない。」

(「人は何のために生きるのか」より)

国際秩序

ヘンリー・キッシンジャー (著), 伏見威蕃 (翻訳) (上・下) (日経ビジネス人文庫  2022年)

ニクソン、フォード政権で国務長官を務め、2022年に100歳で亡くなったキッシンジャーが、近現代の歴史を「秩序」という構造から分析した書。

氏によれば、1648年に終結した三十年戦争後の「ヴェストファーレン体制」が、今日まで続く歴史の基本的な構造ー「国際秩序」をなしているという。

約五百年間、世界の歴史はこの秩序を基本として意思決定を行った国々と、この秩序に組み込まれることを拒んだ国々との複雑な関係で歩んできたことが、ダイナミックに描かれている。

歴史書の多くは、特定の国や地域についての通史や、年代ごとの主な出来事ーそのほとんどは戦乱であるがー、科学、技術、文化を編年体で綴っている。

相互に絡み合いながら動いてきた世界史の「全体像」が理解できる書である。

メルヒェン

ヘルマン・ヘッセ(著) 高橋 健二 (訳)  (新潮文庫)

ヘッセの創作童話9編がおさめられている。

冒頭の「アウグスツス」は、童話というにはあまりにも深く、重厚でさえある。

誰からも愛されてほしいという願いが叶えられ育った主人公が、愛されることが当たり前と思うようになり、運命が急転、心の変容を経て最後は穏やかな最後を迎える。

優しく穏やかな童話的な描写と、苛烈な運命描写の激しいコントラストもヘッセらしい。

「すべての悩みのかたわらに楽しい笑いが、すべての弔いの鐘とともに子供の歌が、すべての困窮とあさましさのかたわらに、いんぎんさと機知と微笑とが見出されるのを、繰り返し見て、彼はすばらしいことだ、感動的なことだと思った。」(「アウグスツス」 p40)

主人公のアウグスツスという名前からは、ローマ帝国初代の皇帝オクタウィウスが思い浮かぶ。「神聖な」「尊厳な」という意味合いを持ち、本編のテーマに相通ずるものがある。

ハムレット

ウィリアム・シェイクスピア(著) 福田恆存(訳) 新潮文庫

作品名と著者は知っているが、実際に読んだことはないという本は多いものである。

シェイクスピアもその1人。

戯曲という形式になじみがなかったが、代表作であるハムレットを読んでみた。

1600年前後に発表されたまさに古典である。モチーフとなったデンマークのさらに古い物語があったことを初めて知った。

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ(To be, or not to be, that is the question.)」はあまりにも有名だが、他にも多くの名言や箴言がちりばめられている。

元来、劇の脚本として書かれただけに、読んでいるうちに実際の舞台を見ているかのような錯覚に陥る。

人物の心理描写、豊饒な台詞、物語の劇的な展開、ともに見事である。

https://www.shinchosha.co.jp/book/202003

シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット

モーリーン・ウィテカー (著),高尾 菜つこ (訳),日暮 雅通 (監修) (原書房 2023)

英国グラナダテレビで放送されたシャーロック・ホームズシリーズの代表作と、主演を務めたジェレミー・ブレッドの役作りを多くの証言に基づき後付けた書。

ドラマの解説書としても、ブレットの評伝としても読める。

シャーロック・ホームズシリーズの映画化、ドラマ化は数多いが、グラナダテレビの同シリーズは、最も原作に忠実で、ヴィクトリア朝後期のイギリスの社会の雰囲気を可能な限り映像化している。

テレビのスタッフ以上に原作に忠実であろうとしたのはジェレミー・ブレットであり、原著の台詞をそのままドラマでも使うなど、ホームズのイメージそのままに演じきったといえよう。

原作を徹底的に読み込み、出来うる限りホームズであろうとしたジェレミーの姿勢には、執念すら感じられる。

最も見事な作は、本書でも賛辞を寄せている「六つのナポレオン」ですね。

李白 巨大なる野放図 , 杜甫 偉大なる憂鬱

宇野直人(著)   江原正士(著)  (平凡社 2009)

中国を代表するふたりの詩人、李白と杜甫の人生をたどりながら、作品を対談形式で読み解いたもの。漢詩を味読しながら、伝記としても楽しく読み進めることが出来る。

「李白 巨大なる野放図」と「杜甫 偉大なる憂鬱」の2冊が刊行されているが、両著を読み比べると面白い。

表紙に描かれた肖像画からも、二人の人柄や作風の違いが窺われる。

よく言われるように、豪放な李白に対し、哀切を帯びるのが杜甫である。

黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る  李白
 故人 西のかた黄鶴楼を辞し
 煙火 三月 揚州に下る
 孤帆の遠影 碧空に尽き
 唯だ 見る 長江の天際に流るるを

絶句 其の二  杜甫
 江碧にして 鳥逾白く
 山青くして 花然えんと欲す
 今春 看すみす又過ぐ
 何れの日か 是れ期年ならん

ふたりの代表的な詩であるが、いずれも鮮烈な光景が目に浮かぶ。

李白の詩がはるか天空に上るかのように結するのに対し、杜甫の詩は美しい春を前にしながらも嘆息で結ばれる。

国を思い、士官を求めてほぼ唐の全土を巡り歩き、安史の乱に翻弄されたながら生きたふたりであったが、それゆえにこれだけの詩を残せたのであろうか。

李白 – 平凡社 (heibonsha.co.jp)
杜甫 – 平凡社 (heibonsha.co.jp)

パスカル パンセ

鹿島 茂(著)(2013年 NHK「100分で名著」ブックス)

いつかは読みたいと思いながら、書店で手にするとその分量と、断片的な内容に躊躇していた「パンセ」。

NHK TV番組を元にした解説本があったので、ようやく読む気になった。

39歳で亡くなったパスカル(1623-1662)が生前書きためた断片的な考察を、遺族や編者が整理しまとめたもので、原題は「死後、書類の中から発見された、宗教およびその他の若干の主題に関するパスカル氏のパンセ(思索)」。

前半は、就職や仕事で悩む現代の人々に対して、パンセの中から考える方向性を見いだすという構成である。

「わたしたちがどんな状態にいても、自然はわたしたちを不幸にするものである。わたしたちの願望が、もっと幸福な状態というものをわたしたちの心にえがきだしてみせるからだ」

「人間は一本の葦にすぎない。自然の中でも最も弱いものの一つである。しかし、それは考える葦なのだ。・・・たとえ宇宙が人間を押し潰したとしても、人間は自分を殺す宇宙よりも気高いと言える。なぜならば、人間は自分が死ぬことを、また宇宙のほうが自分よりも優位だということを知っているからだ」

「人間は小さなことに対しては敏感であるが、大きなことに対してはひどく鈍感なものである」

「時代は苦しみを癒やし、争いを和らげる。なぜなら人は変わるからである。人はもはや同じひとではない」

同時代を生きたルネ・デカルトとの対比が興味深い。

ふたりは実際の交流もあったようである。

「我考える、ゆえに我あり」というデカルトの宣言に対し、パスカルも考えることを人間の本質と捉えたが、絶対視はせず、自然界に置かれた人間という謙虚な思想がうかがえる。

福岡伸一氏の寄稿によれば、「この世界はすべて因果関係で成り立っており、メカニズムとして理解できる」というデカルトに対し、「私たちは動的な存在であり、世界も動的」、「同一性は、常に揺らいでいる」のパスカル。

デカルトの思想が作り上げた現代社会が様々な問題を生んでいるという指摘は、養老孟司氏のいう「脳が作り上げた、ああすれば、こうなる社会」にも通じる。

パンセの後半を占める思想は、パスカルがカトリック改革派(ジャンセニスム)の信仰に帰依したことから、キリスト教の擁護という意味合いも強い。

https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000815892013.html

ゲーテとの対話

エッカーマン(著) 山下 肇(訳) (全三冊 岩波文庫)

晩年のゲーテに師事したエッカーマンが、日々の出来事や詩作と芸術、人生について語り合ったことを丹念に綴った書。

万能の天才とも表されるゲーテ、その活動は、詩人として、科学者として、またワイマール国の官僚として多岐にわたる。

ゲーテの生きた時代は、フランス革命からナポレオン戦争へ、ドイツ連邦の成立など、ヨーロッパ激動の時代であった。

その生涯の蓄積が豊かな言葉となって語られ、「ゲーテ格言集(岩波文庫)」のなかにも本書からの出典が数多く収められている。

「後退と解体の過程にある時代というものはすべていつも主観的なものだ。
が、逆に、前進しつつある時代はつねに客観的な方向を目指している。
現代はどう見ても後退の時代だ。というのも、現代は主観的だからさ。(1826年1月29日)」

「もし世界というものが、これほど単純でなかったなら、いつまでも存在することは不可能だろうね。
この貧弱な土地は、もう数千年前も前から耕されてきているわけだが、地力はいつでも同じなのだ。
ほんの少し雨が降り、ほんの少し日があたれば、春を迎えるたびに緑が萌える。
そしてそれがずっとつづいて行くのだ。(1827年4月11日)」

これらの言葉は、現代にも通ずる普遍性をもっている。

「いつかは目標に通じる歩みを一歩一歩と運んでいくのでは足りない。その一歩一歩が目標なのだし、一歩そのものが価値あるものでなければならないよ。(1823年9月18日)」

「人は、青春の過ちを老年に持ちこんではならない。老年には老年自身の欠点があるのだから。(1824年8月16日)」

「本当に他人の心を動かそうと思うなら、決して非難したりしてはいけない。まちがったことなど気にかけず、どこまでも良いことだけを行うようにすればいい。大事なのは、破壊することではなくて、人間が純粋な喜びを覚えるようなものを建設することだからだ。(1825年2月24日)」

ゲーテに対して晩年という言葉はふさわしくないかもしれない。

ゲーテの陰に隠れてはいるが、冒頭で語られるエッカーマンの半生や、ゲーテとの出会い、その言葉をどう聞き、どう受け止め、自身の人生の糧にしたのかも興味深い。

エッカーマンの筆により、ゲーテが目の前で語りかけているように感じられる書である。

ゲーテとの対話 全3冊セット – 岩波書店 (iwanami.co.jp)

人を幸せにする写真 幸せになれるかもしれないと思ったあの日のこと

ハービー・山口(著)(TWO VIRGINS 2022)

写真家ハービー・山口氏のフォトエッセイ集。
カメラ誌CAPA連載の「You are a peace of art.」を再構成したもの。

タイトルの通り、「人を幸せにする写真」を撮り続けているハービー氏のエッセンスが凝縮されている。

ハービー氏は、スナップ・ポートレートというジャンルを確立した写真家であるが、どの写真も見ていて心地よい。

写っている人のまなざしが、見ている人をも幸せな気持ちにさせる。

それは、撮っているハービー氏自身が、「人の幸せを祈ってシャッターを切る」からであろう。

「自分の命が、人生が何かに救われたという経験があるのなら、その何かをずっと大切にしていく人生を設計したら良いんじゃないかな」。
(まえがき より)

「写真する」ことは、インスタ映えするためではないことを思い起こさせてくれる。

雨の匂いのする夜に

椎名 誠(著) (朝日新聞出版 2015)

写真誌「アサヒカメラ」に連載された「シーナの写真日記」を単行本にまとめたもの。
 (アサヒカメラは2020年7月号で休刊となっている)

文章はもちろん、写真も椎名誠氏自身によるもので、フィルムカメラで撮影されたモノクローム写真である。

世界を旅して出会った人物や風景の写真と、その時々のエピソードが綴られている。
マイナス40度にもなるロシアの極北の地や、南米の犯罪のにおいのする場所など、一般の旅行者は訪れない土地が多い。

人々の日常や自然の息づかいが伝わってくるように感じるのは、椎名氏がその土地に溶け込んでいるからであろう。

https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=17557