書く力 加藤周一の名分に学ぶ

鷲巣 力 (著) 「書く力  加藤周一の名文に学ぶ」 (集英社新書 – 2022/10/17)

加藤周一について多くの書を著している鷲巣力氏による、加藤周一の文体論であり読書入門ともいうべき書。

入試問題の定番で、難解・論理的と一般的に思われている加藤周一の文章だが、鷲巣氏はその構造や特徴を引用しながら具体的に解き明かしていく。

具体から抽象へあるいは部分から全体へという構造による組み立て、比較対象による主題の明確化、「、(読点)」や「-(ダーシ)」といった記号を明確な意図のもとに使っていること、など、いままで何となく読んでいた加藤周一の文体の特徴が分析されている。

加藤周一の文章が、決してわかりにくいものではなく、むしろ「いかにしたら読者に伝わるか」を極限まで考え抜いたうえで書かれたものであることがわかる。

名著「羊の歌」は、これらの緻密な組み立てに加え、繊細な五感で感じ取った詩情性の高さにより、長年読み継がれているのであろう。

遥かなるケンブリッジ

藤原 正彦 (著) 「遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス」 (新潮文庫 – 1994/6/29)  

名エッセイ「若き数学者のアメリカ」、「国家の品格」の藤原正彦氏(1943-)のイギリス滞在記です。
文部省の長期在外研究員として、1987年から約1年の予定でケンブリッジ大学に赴いたときの出来事を綴ったもので、今回は妻子を連れての滞在です。「私は研究に専念するため、妻子を連れて来た」という言葉に、氏の人間性がうかがわれます。
「若き数学者のアメリカ」で描かれた初めての外国暮らしの時と比べ、全体に気負いが少なく、落ち着いた調子が感じられます。
郊外に広がる田園の見事さ、古いものを大切にする生活様式、米語とはリズムの異なる英語、階級社会の実態等、老大国とよばれるイギリスの姿が生き生きと描かれています。
例えば、藤原氏がカレッジの芝生の見事さをほめると、案内してくれたリチャード博士は「四百年ほど丁寧な手入れを続ければこうなる」とさらりという。このような会話の端々にイギリス人の自国の伝統に対する絶対の自身があらわれています。
オックスフォードとケンブリッジの比較や、多くの数学者や住民との出会いや交流が展開しますが、次男が学校でいじめに合うという事件が発生し、この出来事について合わせて3章を費やし、階級社会や人種差別といった負の側面が描かれています。
締めくくりとして、イギリスとイギリス人に対する藤原氏の見解が述べられています。
「イギリス人は何もかも見てしまった人々」であり、「懐の深い熟年の美学」に魅かれるというのが、藤原氏のイギリス評となっています。

それがぼくには楽しかったから

リーナス・トーバルズ(著),デビッド・ダイヤモンド(著),風見 潤(訳)
「それがぼくには楽しかったから」(小学館プロダクション-2001/5/10)

インターネットのサーバーや一部のパソコン、組込機器等で使われている基本ソフト(OS)のLinuxを開発したリーナス・トーバルズの自伝です。
LinuxはUnixと同等の機能を有するOSで、世界中の多くのボランティアの手によって開発され進化している、いわゆるオープンソース・ソフトウェアの代表的なものです。
オープンソースは基本的に無料で利用できるものが多く、一部の自治体などではソフトウェアにかかるコストを抑えるために、Windows等のOSから切り換える例もでています。
このようにいままでのソフトウェアビジネスのあり方を根本的に覆す革命的なOSは、フィンランドの一人の青年の興味から生まれたものです。
11歳の頃、祖父の購入したパソコンとの出会いから始まり、学生時代をコンピュータとともに過ごし、様々なプログラムを作り、やがてUnixと出会い、洗練された世界に引き込まれていきます。
リーナス・トーバルズがLinux開発に取り組んだとき、ソフトウェアの世界に革命を起こすといった考えはなく、タイトルが語るように、「それが楽しかったから」やっただけのこと・・・この考えは彼の哲学のようです。
序章でも、人生にとって意義のあることとして、「一つめは生き延びること。二つめは社会秩序を保つこと。三つめは楽しむこと。」と語っています。
後半部分はオープンソースの哲学と、様々な企業との複雑な関わりや、今後のコンピュータ及び情報化社会の変化について、彼独特の考えが述べられています。
曰く「情報社会の次には娯楽社会が来るだろう」。


高度成長―「理念」と政策の同時代史

佐和 隆光 (著)「高度成長―「理念」と政策の同時代史」(NHKブックス)

昭和30年から45年までの高度経済成長の歩みを、経済白書の記述を丁寧に読み込むという作業によって掘り起こし、未曽有の成長をもたらした構造的な要因を解きあかそうとしたものです。
経済白書には、戦後復興から量的拡大への歩み、大きな政府への指向、その後40年代になった顕在化した公害問題などのひずみの認識、日本経済の構造的な課題として認識され続けてきた企業規模や地域の格差や跋行性などが記述され、まさに日本経済の歩みを写す鏡であったことがわかります。
国民所得倍増計画に代表される産業政策として量的拡大を目指した時代、技術革新と消費革命の時代、そして公共支出主導型経済への転換と生活の質の充実へと、いわゆるパラダイムの転換の考察が展開されています。
1984年刊行の本ですが、現在読んでみて、いくつか興味深い内容があります。たとえばIT社会を考えるうえで、次の一文に目がとまりました。
「いまにして思えば、昭和四〇年代の前半期に人びとが電子計算機に寄せた期待は、あまりにも過大にすぎたとしかいいようがない。人間社会の一切合切が、電子計算機のたすけを借りれば、たちどころに解読され、未来予測も思うがままであるかのように錯覚されていたのである。」(第三章 長期繁栄の光と影 P108より)
この文章の「昭和四〇年代」を「2000年代」に、「電子計算機」を「ウェブ(インターネット)」や「AI」に置きかえてみたらどうでしょうか。

高度成長―「理念」と政策の同時代史 (NHKブックス 単行本 – 1984/9/1)

まともな人

養老 孟司(著)「まともな人」(中公新書 2003/10)

養老孟司(1937-)氏は、ふだんあたりまえと思っていることに「本当にそうか?」と鋭い疑問を突きつけています。
本書は中央公論に連載の時評をまとめたもので、2001年から2003年までの出来事や話題をめぐって、氏の見解が述べられています。ちょうど911の出来事があった時期で、テロや原理主義について多くのページが割かれています。
他の著作とも共通する視点ですが、「ああすれば、こうなる」式の思考や行動がいかに過ちに満ち、社会のさまざまな問題を引き起こしているのか、都市化や脳化社会が問題の根幹にあることを指摘しています。
「情報とは停まったもので、生きて動いている存在ではない」、「自分だけのものとは、心ではなく、じつは身体である」、「人生の意味を問うというのは、若者たちの特権というわけでもない」、これらの言葉に、ある種の爽快感さえ覚えます。
養老氏の著作の多くがベストセラーになっているのは、そのような思い切りのよさが支持されているからかも知れません。
ただし養老氏自身は、他人がどう感じようがそんなことは気にせず、虫のことを考えているのかもしれません。

ビル・ゲイツ未来を語る

ビル・ゲイツ (著), 西 和彦 (訳)「ビル・ゲイツ未来を語る」(アスキー – 1995/12/1)

インターネット社会が離陸した時代に、ビル・ゲイツ(1955-)が何を考え、どのような未来予測をたて、マイクロソフト社(1975-)がどこに進もうとしていたのかを知ることができる本です。
本書出版から四半世紀を経過した現在、ビル・ゲイツの展望の多くは現実のものとなり、情報化社会のたどってきた方向も予測に合致していることがわかります。

本書が書かれた時期は、ちょうどマイクロソフト社にとって分水嶺となった時期でした。
90年代初め、マイクロソフトはインターネットの影響を過小評価しており、独自のパソコン通信サービス(MSN)を提供していました。またブラウザの開発でネットスケープに遅れを取ったことも周知の事実です。

マイクロソフトの歴史を振り返ってみると、同社は時代の最先端を走っている企業ではないことがわかります。
二番手の位置に付けながら、時代の変化を注意深く読み最適なタイミングを捉えて戦略を実行してきた手腕は見事です。
パソコンOSの圧倒的なシェアと資金力、マーケティング力という強みを生かして、成長分野でトップの座を奪い取る、それが同社の基本的な戦略であるといえます。

ビル・ゲイツが情報化社会の行方を正しく見据え、マイクロソフトを巨大企業に成長させた要因としては、ビル・ゲイツの資質だけでなく、同社がソフトウェアを生業とすることが大きいでしょう。
ソフトウェアには、プログラムしだいで何でもできるという柔軟性や、大規模な製造設備を必要としないこと、製品開発に成功すれば限界費用が極めて少ないといった特性があります。
これらソフトウェアの持つ特性は、企業が環境変化に対応して生き残るための大きな鍵となります。
ハードウェアメーカーの多くが、急激な技術革新とコンピュータの利用形態の変化によって淘汰されたことと比べれば、その違いは非常に大きいと思います。

マイクロソフトは、かつてのOSとパッケージソフトウェアの販売から、Azureを中心としたクラウドサービスに軸足を移しました。

執筆当時のビル・ゲイツは、このような変化を予想していたでしょうか。

ザ・ブランド―世紀を越えた起業家たちのブランド戦略

ナンシー・F.ケーン(著),樫村 志保(訳)「ザ・ブランド―世紀を越えた起業家たちのブランド戦略」 (Harvard business school press 2001/11)

18世紀の「ウェッジウッド」から1980年代の「デル・コンピュータ」まで、世界的な有名ブランドについて、起業家の生い立ち、ブランドの誕生、成長、組織の変革などを歴史学者の視点で分析したものです。
取り上げているブランドは上記の他に、「エスティ・ローダー」、「ハインツ」、「マーシャル・フィールド」、「スターバックス」の計6ブランドです。

著者は冒頭で「起業家、そして彼らと消費者の関係について筆者が抱いていた一連の疑問を形にしたものである」と述べているように、顧客関係が本書の大きなテーマとなっています。
歴史学者らしいアプローチの書で、膨大な資料を紐解いて、企業家の生涯や、当時の時代背景について多くのページが割かれています。

著者は、これらのブランドが世界的なブランドとして認知された要因として、社会・経済の変化が消費者ニーズや欲求に与える影響を理解していたこと、顧客との関係を築き上げたこと、買い手を満足させ好みの変化を予測するための組織を作り上げたことを指摘しています。

たとえばウェッジウッドの章では、同社が、
・製品の開発、改良に力を注いだこと
・中産階級の台頭に伴う上昇志向と模倣消費という機会をとらえたこと
・王侯貴族御用達というイメージ形成に力を注いだこと
・製品に自分の名前を押印し模倣品を排除したこと
・ショールームの開設などの近代的マーケティング手法を導入したこと
・労働者の組織化や生産管理の導入により品質の安定をはかったこと
などが、ブランド確立につながったことがわかります。

ブランド論は多々ありますが、ブランド確立の要因を、歴史的事実の積み重ねと、顧客関係から追求した視点に、学術書としての深みが感じられます。

バカの壁

養老孟司(著)「バカの壁」(新潮新書 2003/04)

養老孟司氏の著作を読む楽しみは、氏の常識にとらわれない思考に触れることにあるといってよいでしょう。

養老氏との対話を書き起こした本であるため、氏の独り言を聞いているような雰囲気も感じられます。

本書には、養老氏の他の著作にも通じる基本的な考え方が随所にみられます。

「結局われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない」

「もともと問題にはさまざまな解答があり得るのです」

「人生でぶつかる問題に、そもそも正解なんてない。とりあえずの答えがあるだけです」

次の一文も一般常識とは正反対の解釈ですが、本書を読めばその真意がわかると思います。

「人間は日々変化するが、情報は固定化され絶対変化しない」

われわれがいつのまにか作ってしまった「壁」にとらわれずに、自分の頭でよく考えてみることの大切さに気づかされる書です。

父の威厳 数学者の意地

藤原 正彦(著)「父の威厳 数学者の意地」 (新潮文庫1997/06)

藤原正彦(1943-)氏のエッセイ66編を文庫にまとめたものです。
2~3ページの短編が多く、話題は家族にまつわるものが中心となっています。

作家である父、新田次郎(1912-1980)と、母、藤原てい(1918-)の思い出、祖父の教え、妻と3人の子息との日常などが、藤原氏独特の躍動感ある文章で展開されており、飽きさせません。

最近のベストセラーとなった「国家の品格」で主張されている情緒の重視や武士道精神,
恥の文化といったテーマは、本書でも何度か説かれており、著者の一貫した信念であることがわかります。

そしてこのような信念や行動規範は、「藤原家伝来」のものであることが、父や祖父のエピソードから伝わってきます。

藤原氏の文章の魅力は、次の一文でも窺い知れるでしょう。

「買い物の愉しさは、無味乾燥な紙幣が、魅力いっぱいの品物に化けることにつきる。ほとんどドラマティックな変容である。汚ならしいお札を差出せば、欲する物は何でももらえるうえ、感謝までされる。これは純然たる力の行使であり、優越感であり、快感でもある。」(p87 買い物の愉しさ より)

自己の単純明解さの自覚と主張、時代の雰囲気への反抗、一方で繊細な感受性と情緒の表現など、氏の多様な人間性の魅力が文章から溢れています。

企業戦略論【上】

J・B・バーニー(著),岡田 正大(訳)「企業戦略論【上】基本編 競争優位の構築と持続」(単行本)

MBAのテキストとしてかかれたもので、原題の”GAINING AND SUSTAINIG COMPETITIVE ADVANTAGE “が示すように、競争優位性の獲得と維持がテーマです。邦訳は原著を上・中・下に分けた3巻構成となっています。
著者のJ・B・バーニーは、RBV(1)の第一人者で、大手企業の戦略コンサルティングを行い、また在職した3つの大学で計5度の「ティーチング・アウォード」を受賞しているとのことです。 本書の内容は、経営戦略の定義(「ミッションと目標を達成するための手段」)から始まり、SCP(2)モデルとSWOTフレームワークに基づく脅威・機会、強み・弱みといった事項の体系的な解説が続き、RBV、VRIOフレームワーク(3)に展開されています。 SWOT分析はバランス・スコア・カードによる戦略策定でも必須のプロセスですが、機会・脅威・強み・弱みの項目を抽出するのはなかなか骨の折れる作業です。 本書ではM.E.ポーターの理論に拠り、脅威の項で「新規参入・競合・代替品・供給者・購入者」という5要素の詳しい解説がなされ、機会の項では「市場分散型業界・新興業界・成熟業界・衰退業界・国際業界」といった業界特性別に、着目すべき機会について述べられています。 これらの着眼点を理解することにより、SWOT分析の質が向上することは容易に想像できます。 講義を念頭においているためか、重要な事項については何度も繰り返し、企業の例やモデルを示しながら説明されています。 体系的で網羅的な論理展開、平易な文体とわかりやすい表現で記述された優れたテキストです。 上巻は300ページほどの分量ですが、経営学の専門書としては異例に読みやすく理解しやすい本です。 中・下巻の内容については後日紹介したいと思います。

(1)RBV(resource-based view)・・・経営資源に基づく視点。企業の競争優位の源泉として、内部資源に注目する経営戦略理論。
(2)SCP(structure,conduct,performance)・・・業界構造-企業行動-パフォーマンスの関係を理解する方法論。
(3)VRIO(value,rarity,inimitability,organization)・・・価値、稀少性、模倣困難性、組織についての問いからなるフレームワーク。

[新版]企業戦略論【上】基本編 戦略経営と競争優位 (単行本 – 2021/12/8)