それがぼくには楽しかったから

リーナス・トーバルズ(著),デビッド・ダイヤモンド(著),風見 潤(訳)
「それがぼくには楽しかったから」(小学館プロダクション-2001/5/10)

インターネットのサーバーや一部のパソコン、組込機器等で使われている基本ソフト(OS)のLinuxを開発したリーナス・トーバルズの自伝です。
LinuxはUnixと同等の機能を有するOSで、世界中の多くのボランティアの手によって開発され進化している、いわゆるオープンソース・ソフトウェアの代表的なものです。
オープンソースは基本的に無料で利用できるものが多く、一部の自治体などではソフトウェアにかかるコストを抑えるために、Windows等のOSから切り換える例もでています。
このようにいままでのソフトウェアビジネスのあり方を根本的に覆す革命的なOSは、フィンランドの一人の青年の興味から生まれたものです。
11歳の頃、祖父の購入したパソコンとの出会いから始まり、学生時代をコンピュータとともに過ごし、様々なプログラムを作り、やがてUnixと出会い、洗練された世界に引き込まれていきます。
リーナス・トーバルズがLinux開発に取り組んだとき、ソフトウェアの世界に革命を起こすといった考えはなく、タイトルが語るように、「それが楽しかったから」やっただけのこと・・・この考えは彼の哲学のようです。
序章でも、人生にとって意義のあることとして、「一つめは生き延びること。二つめは社会秩序を保つこと。三つめは楽しむこと。」と語っています。
後半部分はオープンソースの哲学と、様々な企業との複雑な関わりや、今後のコンピュータ及び情報化社会の変化について、彼独特の考えが述べられています。
曰く「情報社会の次には娯楽社会が来るだろう」。


まともな人

養老 孟司(著)「まともな人」(中公新書 2003/10)

養老孟司(1937-)氏は、ふだんあたりまえと思っていることに「本当にそうか?」と鋭い疑問を突きつけています。
本書は中央公論に連載の時評をまとめたもので、2001年から2003年までの出来事や話題をめぐって、氏の見解が述べられています。ちょうど911の出来事があった時期で、テロや原理主義について多くのページが割かれています。
他の著作とも共通する視点ですが、「ああすれば、こうなる」式の思考や行動がいかに過ちに満ち、社会のさまざまな問題を引き起こしているのか、都市化や脳化社会が問題の根幹にあることを指摘しています。
「情報とは停まったもので、生きて動いている存在ではない」、「自分だけのものとは、心ではなく、じつは身体である」、「人生の意味を問うというのは、若者たちの特権というわけでもない」、これらの言葉に、ある種の爽快感さえ覚えます。
養老氏の著作の多くがベストセラーになっているのは、そのような思い切りのよさが支持されているからかも知れません。
ただし養老氏自身は、他人がどう感じようがそんなことは気にせず、虫のことを考えているのかもしれません。

バカの壁

養老孟司(著)「バカの壁」(新潮新書 2003/04)

養老孟司氏の著作を読む楽しみは、氏の常識にとらわれない思考に触れることにあるといってよいでしょう。

養老氏との対話を書き起こした本であるため、氏の独り言を聞いているような雰囲気も感じられます。

本書には、養老氏の他の著作にも通じる基本的な考え方が随所にみられます。

「結局われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない」

「もともと問題にはさまざまな解答があり得るのです」

「人生でぶつかる問題に、そもそも正解なんてない。とりあえずの答えがあるだけです」

次の一文も一般常識とは正反対の解釈ですが、本書を読めばその真意がわかると思います。

「人間は日々変化するが、情報は固定化され絶対変化しない」

われわれがいつのまにか作ってしまった「壁」にとらわれずに、自分の頭でよく考えてみることの大切さに気づかされる書です。

父の威厳 数学者の意地

藤原 正彦(著)「父の威厳 数学者の意地」 (新潮文庫1997/06)

藤原正彦(1943-)氏のエッセイ66編を文庫にまとめたものです。
2~3ページの短編が多く、話題は家族にまつわるものが中心となっています。

作家である父、新田次郎(1912-1980)と、母、藤原てい(1918-)の思い出、祖父の教え、妻と3人の子息との日常などが、藤原氏独特の躍動感ある文章で展開されており、飽きさせません。

最近のベストセラーとなった「国家の品格」で主張されている情緒の重視や武士道精神,
恥の文化といったテーマは、本書でも何度か説かれており、著者の一貫した信念であることがわかります。

そしてこのような信念や行動規範は、「藤原家伝来」のものであることが、父や祖父のエピソードから伝わってきます。

藤原氏の文章の魅力は、次の一文でも窺い知れるでしょう。

「買い物の愉しさは、無味乾燥な紙幣が、魅力いっぱいの品物に化けることにつきる。ほとんどドラマティックな変容である。汚ならしいお札を差出せば、欲する物は何でももらえるうえ、感謝までされる。これは純然たる力の行使であり、優越感であり、快感でもある。」(p87 買い物の愉しさ より)

自己の単純明解さの自覚と主張、時代の雰囲気への反抗、一方で繊細な感受性と情緒の表現など、氏の多様な人間性の魅力が文章から溢れています。

ゲーテ格言集

ゲーテ (著) 高橋 健二 (訳) 新潮文庫

ゲーテ(1749-1832)の智慧を凝縮した一冊です。
初版の1952年から現在でも版を重ねており、学生時代に購入した文庫本は1973(昭和48)年発行のもので、その後処分されることもなく現在も書棚の片隅に納まっています。
当時は就寝前にページをめくってわかったような気がして読んでいましたが、おそらく地上から星を眺めているようなものだったと思います。
内容は、「ファウスト」や「若きウェルテルの悩み」、「詩と真実」、エッカーマンの「ゲーテとの対話」、その他多くの著作から格言や箴言を集めたもので、次の分類にしたがって纏められています。
「愛と女性について」、「人間と人間性について」、「科学、自然、二元性について」、「神、信仰、運命について」 、「行動について」、「芸術と文学について」、「幸福について」、「自我と自由と節度について」、「個人と社会について」、「人生について」、「経験の教え」、「人生の憂鬱」、「身辺雑記」、「生活の知恵」
ゲーテを特徴付けているのは、このような知的領域の幅広さがそのまま彼の人生になっていることです。
詩人・文学者、自然科学者にして、政治にも携わるなど、様々な分野で大きな業績を残しており、万能の天才という評価もあります(1)。

また、積極的な活動を促したかと思うと、一方では沈思することも勧めており、多様性に富んだ思想の持ち主であることがわかります。

ゲーテの生きた時代は、フランス革命とナポレオンがヨーロッパを席巻した激動の時代であり、社会・文化においても大きな転換期でした。 この時代を生きた人々が、心理的にも大きな混乱のなかにあったことは想像に難くありません。

現代はゲーテの生きた時代と同様の、あるいはそれ以上の大きな変革の渦中にあります。日々の生活に翻弄され人生の全体像を見失ったとき、ゲーテの格言はいくつかの道を示してくれます。 心に残る言葉が見つかることと思います。

(1)ゲーテの伝記は多々ありますが、小栗 浩 (著)「人間ゲーテ(岩波新書)」は、幼少時の教育、女性とのかかわり、代表作ファウストなどについて生き生きと描写されており、読みやすくお薦めできます。

高橋 健二(訳)「ゲーテ格言集」新潮文庫

二十世紀から何を学ぶか(下)

寺島実郎 (著)「二十世紀から何を学ぶか(下)一九〇〇年への旅 アメリカの世紀、アジアの自尊」(新潮選書)

「二十世紀から何を学ぶか(上) 欧州と出会った若き日本」の続編で、さまざまな人物を軸にして、二十世紀のアメリカ、アジア、日本の関わりを描いた「歴史エッセイ」です。
冒頭で、本書の執筆動機と著者の歴史認識に対する基本的な態度が表明されています。
「漠然としたイメージや受け身の情報に基づいて歴史を受け止めるのではなく、『実事求是』の精神で、自らの足と眼を使って、歴史の現場に立ち、文献と資料によって事実を確認し、『自分にとっての二十世紀の総括』を試みたものである」(はじめに より)
今回登場するのは、クラーク博士、ヘンリー・ルース、フランクリン・ルーズベルト、マッカサー、新渡戸稲造、内村鑑三、鈴木大拙、津田梅子、野口英世、ガンディー、孫文、魯迅、周恩来など、多彩な人物です。これらの人物が二十世紀をいかに生き、歴史にどのような影響を及ぼしたのか、興味深く綴られています。
歴史を前にすれば、個人の存在や影響力はたかが知れているように思われます。
しかし、これらの人々の果たした役割の大きさを知ると、決して個人は無力ではないという感慨が湧いてきます。
テレビ番組などで解説者として活躍する寺島氏は、その誠実な姿勢、論理的で説得力がありしかも分かりやすい論評が印象的ですが、本書からも同じような読後感を覚えます。
そして、基礎的な資料を自分の目で十分に読み込み、自分の頭でよく考えたうえで、話したり書いたりする態度が重要であることを教えてくれます。
上巻では巻末に膨大な参考文献リストが付いていましたが、下巻ではWebで公開する形となっています(http://www.shinchosha.co.jp/book/603582/)。今回もその膨大さに圧倒されます。

二十世紀から何を学ぶか〈下〉一九〇〇年への旅アメリカの世紀、アジアの自尊 (新潮選書  単行本 – 2007/5/1)

二十世紀から何を学ぶか(上)

寺島 実郎 (著) 「二十世紀から何を学ぶか(上) 一九〇〇年への旅 欧州と出会った若き日本」

著者の寺島実郎氏は日本総合研究所理事長で、テレビや新聞に度々登場し、国際的な視点から経済、政治、環境問題等を、鋭く説得力のある言葉で論じています。
本書は20世紀の始まった年、1900年前後に欧州に渡った日本人が、何を考え、その後いかに行動したかを確認することにより、日本人にとって20世紀という時代の持つ意味を考察しようというものです。
登場する人物は、海軍軍人秋山真之から始まり、夏目漱石、西園寺公望、川上音二郎、クーデンホーフ(青山)光子、広瀬武夫、森鴎外、三井物産創業者益田孝と多彩な顔ぶれです。
情報化社会のはるか以前の話であり、ほとんど予備知識らしいものを持たずに日本を出国し、欧州の実態に直面することになります。
時代と格闘するという言葉がありますが、1900年当時の欧州と日本との違い(格差)を考えると、登場人物たちが如何に大きな衝撃を受けたかが想像されます。
そしてこの時の経験が、その後の思考や行動に大きな影響を与えることとなります。
彼らの多くは政府や財界の指導者層であったがゆえに、帰国後は他の日本人に直接・間接的な影響を及ぼすこととなります。
著者は、これらの人物と比べ現代の日本人には「考える」姿勢が欠けているのではないかということを指摘しています。
夏目漱石の日記の一文が引用されていますが、背筋が正される思いがします。
「未来は如何あるべきか。自ら得意になる勿れ。自ら棄る勿れ。黙々として牛の如くせよ。孜々として鶏の如くせよ。内を虚にして大呼する勿れ。真面目に考へよ。誠実に語れ。摯実に行へ。汝の現今に播く種はやがて汝の収むべき未来となつて現はるべし」(一九〇一年三月二十一日付)

二十世紀から何を学ぶか〈上〉一九〇〇年への旅 欧州と出会った若き日本 (新潮選書) 単行本 – 2007/5/1

ゆたかな社会

J・K・ガルブレイス (著),鈴木 哲太郎 (訳)「ゆたかな社会」

ガルブレイスの代表作で、初版は1958年と、もはや古典の域に達した著作です。
私の手元にあるのは第三版(四刷)で、1983年発行のものです。久しぶりに箱から出したら、表紙を包んでいるパラフィン紙がすっかり褪色していました。
購入したのは大学を卒業して社会に出た頃です。なぜこの本を読もうと思ったのかは定かではありませんが、社会で働くようになり考えることがあったのかもしれません。
ガルブレイスは序論のなかで、本書の執筆の動機を語っています。
「私は、われわれが、公的サービスをおろそかにし、生産増加の一般的な治療的な力にこれほどまでの信頼を寄せることによって、深刻な社会的な病をおびきよせているのだ、という確信に貫かれてきた」
この本は、ガルブレイスが第二次対戦前後に傾倒したケインズ主義から、彼自身を引き離す努力の結実ともいえます。
ガルブレイスが取り上げたテーマは、「ゆたかな社会」の背後に厳然として存在する「貧困」の問題です。当初彼が考えていたタイトルは「なぜ人々は貧しいのか」というものでした。
多くの経済学者がいわば放置してきた「貧困」を、ガルブレイスは看過できなかったのです。
内容は多岐に渡りますが、経済学の専門書としては比較的読みやすいほうです。第二章「通年というもの」がやや抽象的で、独特の言い回しを理解するのに骨が折れますが、ここを突破すればあとは比較的楽しんで読めると思います。
昨今の流行語となった格差社会を考えるうえでも、多くの示唆を与えてくれます。
現在入手しやすいのは、2006年刊の「ゆたかな社会 決定版」 (岩波現代文庫)です。

話し方入門

D.カーネギー(著),市野 安雄(訳)「話し方入門」

自己啓発本としてあまりにも有名な「道は開ける」、「人を動かす」の著者であるデール・カーネギーの原点ともいうべき著作です。
話し方教室の講師であったカーネギーは1926年に”Public Speaking and Influencing Men in Business”を著していますが、それを編纂し直したものが本書です。
カーネギーは、良い話し手になるための秘訣として次のような要素をあげています。
・勇気と自身を養うこと
・周到に準備すること
・有名演説家に学ぶこと
・わかりやすく話す
・聴衆に興味を起こさせる
・言葉づかいを改善する
他にも、態度と人柄について、スピーチの始め方・終わり方などについて、具体的にどのように行動すればよいのかが説かれています。
「自分の個性を最大限生かしたいと思うなら、しっかり休養してから聴衆の前に現れましょう。疲れた話し手には人を引きつける力も魅力もありません。」(第7章 話し手の態度と人柄 より)
本書でカーネギーが述べている内容は、ほとんどそのまま現代でも通用するものです。
プレゼンテーションにおいても、「話し方」が聞き手に最も大きな印象を与えます。
話し方を学ぶことに抵抗を感じる人が多いようですが、ひとつの技術、技能として学びたいものです。

新ネットワーク思考

アルバート・ラズロ・バラバシ(著),青木 薫 (訳)「新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く」

副題にあるように、「ネットワーク」によって世の中の様々な事象を説明しようという新しい理論を紹介した本です。
「ネットワークは、ウェブ上の民主主義からインターネットの脆弱さ、そして恐るべきウィルスの広がりまで、さまざまな問題を理解するための新しい枠組みなのである。(序より」)」
著者は物理学者で、インターネットの構造を研究しているうちに、さまざまなネットワークに共通する仕組みを発見したことで注目されています。
例えば「六次の隔たり(六次元モデル)」という概念があり、6人の知り合いを順にたどってゆけば世界中の誰にでも辿り着けるということがいわれていましたが、インターネットの世界を調査してみたところ、19ほどのリンクをたどることにより、あらゆるサイトに到達できるという、いわば「19次の隔たり」構造をしているのことがわかったのです。
このようなコンピュータ・ネットワークに似た「ハブとリンク」構造で、世の中の事象の多くが説明できるということです。
本書はトポロジーの考え方や成長するネットワークなど、新しい分野の科学を解説する本ですが、身近な例を取り上げなるべくわかりやすく説明しようという姿勢が感じられます。
本書を読めば、インターネットに限らず成功者がますます成功するような仕組みが、ネットワーク構造に由来するものであることがわかると思います。
また、著者らが研究を進めるうちに徐々に核心に迫っていくような展開がなされており、ネットワーク研究のドキュメンタリーとしても興味深く読むことができます。

新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く (単行本 – 2002/12/26)