養老孟司の大言論〈1〉希望とは自分が変わること

養老 孟司(著)「養老孟司の大言論〈1〉希望とは自分が変わること」 新潮社

季刊雑誌の「考える人」に、9年間にわたり連載した文章をまとめた三部作の第一作目。

内容は、紀行や虫の話から、日本社会と個人に関する氏の思想の根幹に及び、エッセイよりも深みがある。

氏の基本的な態度である、世間の常識を問い直すことから、真の言論が始まることを教えてくれる。

「個人心理など存在しない」

「他人への理解が遅れると、人生が遅れる。私の場合、六十五歳で本が売れたのは、遅きに失した。なぜ人生が遅れたかというなら、他人を理解することが遅れたからである。」(「個人主義とはなんだ」より)

なるほど。

(2012年1月19日)

漢詩を読む 3-白居易から蘇東坡へ

宇野 直人(著),江原 正士(著)「漢詩を読む 3-白居易から蘇東坡へ」( 平凡社)

立秋前一日覽鏡(李益)

萬事銷身外     萬事身外に銷(き)え

生涯在鏡中     生涯は鏡中に在り

唯將滿鬢雪     唯滿鬢(りょうびん)の雪を將(も)って

明日對秋風     明日秋風に對(たい)せん

(2012年6月11日)

読書への旅

2007年7月18日 「読書室>>>本の薦め by Yasuhiko<<<」を"tdiary"で開始

2008年4月1日 「読書室>>>本の薦め<<< blog」 システムを"MovableType 4" に移行

2015年12月日 「読書への旅」 システムを”WordPress 4″ に移行、旧システムの投稿の一部を再掲

エッセンシャル思考

グレッグ・マキューン(著),高橋 璃子(翻訳)「エッセンシャル思考」(かんき出版)

情報禍社会への警鐘というだけはなく、本当に納得できる生き方をしたいと願う すべての人に薦める。
タイトルはビジネス書のように感じられるが、内容は生活全般における考え方や行動への示唆を含んでいる。よりよい仕事をするために、さらにはよりよい人生を送るためにも。

「人生はあまりに短い。それは悲しむよりも、むしろ喜ぶべきことに思える。短い人生だからこそ、勇気を出して冒険できる。間違いを恐れずにすむ。かぎられた時間の使い方を、よりいっそう厳密に選ぼうと思える。・・・『本当に重要なのは何か?』 それ以外のことは、全部捨てていい。」(第20章 未来 より)

(2015年2月10日)

人は心の中で考えたとおりの人間になる

ジェームズ・アレン (著),薛 ピーター(訳)「人は心の中で考えたとおりの人間になる」(サンガ新書 2008/01)

生きるために本当に必要なことは、正しい思考であるというきわめてシンプルな原則を説いた本です。

著者のジェームズ・アレン(1864-1912)はイギリス生まれの哲学者で、本書「AS A MAN THINKETH」は、世界中で読まれ続けています。

幸不幸も、成功も、健康も、すべての原因は本人の考えの結果であり、環境は関係ないということです。
よい考えをもってすごせばよい人生が開け、悪い考えをもってですごせば悪い人生になる、言いかえれば、善因善果・悪因悪果に尽きるということでしょう。
どんな思考も、浮かんではただ消えていくものではなく、心の中に堆積し、かならず何らかの影響を及ぼすとすれば、思考が人生の鍵となることは納得できます。

全編にわたり、詩的で、穏やかな雰囲気に包まれた本です。

「あなたの理想は、
あなたがいつかそうなるという約束です。
あなたの理想は、
あなたが何になるかの予言です。」(P142 「夢と理想」より)

本書は対訳本なので、原文の表現を味わうこともできます。

(2008年3月17日)

地獄は克服できる

ヘルマン ヘッセ (著), フォルカー ミヒェルス (編),岡田 朝雄(訳)「地獄は克服できる」 (単行本 2001/01刊)

ヘッセの著作は3冊目の紹介となります(No.22「わが心の故郷 アルプス南麓の村 」、No.79「人は成熟するにつれて若くなる」)。この書も同じ編者・訳者による詩文集で、草思社から発行されています。

文豪ヘッセに似つかわしくないタイトルですが、これは次の文章からの引用です。

「地獄を目がけて突進しなさい。地獄は克服できるのです」(p119「断章11 1933年頃」)

ヘッセの人生は(特に40歳頃までの前半生は)、悩み、挫折、社会の無理解や敵意に苦しめられたものであったことはよく知られています。
本書はヘッセ自身が悩みと苦しみのなかで、何を考え、どのようにして心の平安を見出そうとしたのか、その苦闘の記録といってもよいでしょう。

全体的に重く深刻な文章が多くなっていますが、老年のヘッセが時おり見せる穏やかな表情と、ある達観に救われる気がします。

ヘッセほどではないにしろ、取り越し苦労が多い私のような人間は、次の文章に大いに考えさせられました。

「彼の生涯が、ひとつの高い山脈の尾根から見渡せる。森や谷間や村などのある一帯の土地のように、彼の眼前に広がっていた。何もかも申し分なかったのであった。素朴で、よいものであった。そして何もかもが彼の不安のせいで、彼の抵抗のせいで、苦痛と葛藤に、悲嘆と悲惨の身の毛もよだつ狂乱と危機に化したのであった!」

老年のヘッセは、穏やかでよい表情をしています。運命に歩調を合わせて生きることによって、地獄を克服する術を身に付けたのかもしれません。

(2008年3月12日)

二十世紀を歩く

森本 哲郎 (著)「二十世紀を歩く」(新潮選書 1985/10刊)

本書が出版されたのは1985(昭和60)年、二十世紀も残り15年というときです。
二十世紀がどのように幕を閉じるのか、そして二十一世紀がどのように幕を開けるのか、本書は歴史にその手がかりを得ようとした、探求の書であるといってよいでしょう。

森本哲郎氏(1925-)は、二十世紀に起きたおもな出来事や事件を手がかりに、時代の本質に迫ります。

取り上げられているテーマは、知識人による討議(ニース:1935年「現代人の形成」、東京1942年:「近代の超克」)、幻滅に終わったジイドのソヴィエト旅行、フォード主義とアメリカ文明、自動車革命、巨大都市、大衆社会、情報化社会など、広範な分野に及んでいます。

このうち情報化社会の章では、情報社会と情報化社会を区別したうえで、その本質的な問題を指摘します。
情報化社会は、「これまで人間が努力したすえに生みだしてきた知恵を単なる知識のレベルに降格させ、それをさらに単なる情報の次元へと解消させつつあるのだ」。

森本氏が指摘するように、二十世紀を特徴づける最大の事件は、二度の世界大戦と科学・技術の急速な発展であり、それによって人間がすっかり変質したことが二十世紀の本質であると思います。

随所に東西冷戦の影が見え隠れします。
節目の世紀と対峙して、森本氏はじめ多くの知識人が「存続か絶滅か」という切迫した危機感を抱いていたことが伝わってきます。

(2008年2月28日)

生物と無生物のあいだ

福岡 伸一 (著)「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)

分子生物学という、最先端の科学のおもしろさを伝えてくれる本です。
テーマは、生命とは何か、生物を無生物から区別するものは何かということです。
著者は、「生命とは自己複製を行うシステム」という通説に満足せず、動的平衡論という視点から生命の本質に接近します。

プロローグの文章を読んだだけで、著者の豊かな感性や人間性がうかがわれ、一般の科学書とは異なる詩的な雰囲気が伝わってきます。

「川面を吹き渡ってくる風を心地よく感じながら、陽光の反射をかわして水のなかを覗き込むと、そこには実にさまざまな生命が息づいていることを知る。水面から突き出た小さな三角形の石に見えたものが亀の鼻先だったり、流れにたゆたう糸くずと思えたものが稚魚の群れだったり、あるいは水草に絡まった塵芥と映ったものが、トンボのヤゴであったりする」(プロローグ より)

著者は、DNAの自己複製の仕組みをわかりやすく説明したかと思うと、研究者の姿を活写し、そこに自らの研究生活を重ねて語るというように、読者をさまざまな世界に連れていきます。

あたかもDNAの二重らせん構造のように、分子生物学の解説と研究者の人物伝が美しく重なり合います。
このような変化に富んだ展開により、最先端の科学を扱いながらも、読者を飽きさせずに引き込む効果をあげていると思います。
時間の経つのを忘れて一気に読まされてしまう本です。

(2008年1月17日)

マイクロソフトでは出会えなかった天職

ジョン・ウッド(著),矢羽野薫 (訳)「マイクロソフトでは出会えなかった天職 – 僕はこうして社会起業家になった」

マイクロソフト社の幹部としてまさに世界を股に掛ける毎日を送っていた著者が、休暇をとって訪れたネパールで、教育を受けたくても学校が足りず、本を読みたくても旅行者の残していった本がわずかしかないという、途上国の教育の現実に直面します。

「あなたはきっと、本を持って帰ってきてくださると信じています」という現地の校長との約束を果たすために、著者はさっそく知り合いにメールを発し、行動を開始します。
そして将来の約束されたマイクロソフトを辞し、価値観の異なる恋人とも分かれ、社会起業家としての道を歩むことになります。

「物質的な富があるかどうかは関係ない。本当に大切なのは-その富を使ってなにをするかだ」(第2章 ロウソクの下でアイデアが燃え上がる より)
約束通り、著者は本を携えてネパールを再訪します。
出迎えの人々との交流の場面では、著者の喜びが伝わってきて胸が熱くなります。

本書を読むと、著者の熱意と行動力に圧倒されます。(*1)
設立したNPO「ルーム・トゥ・リード」が、2007年6月までに建設した学校は287校、図書館3,540カ所、届けた本は140万冊にのぼるということです。
「できないではなく、どうすればできるか」を考えること、それが著者の行動の基本になっています。

そして、マイクロソフト時代の経験・ノウハウを十分に活かして、成果につながるNPOのビジネスモデルを構築したことに感心します。
たとえば、活動資金は篤志家の寄付に拠るところが多いのですが、寄付した人が自分の寄付金が何に使われたのかが分かるように、建設した学校の命名権を付与するという仕組みを取り入れています。

また「NPOのマイクロソフトをめざす」という章では、結果最重視の姿勢、行動の重視、人を攻撃しない、具体的な数字に基づく、忠誠心、といったマイクロソフト文化を、ルーム・トゥ・リードの運営に適用している著者の経営哲学が紹介されています。

ほとんどの人にとっては、著者のように、安定した仕事を辞めて社会貢献の道に進むことは困難でしょう。
しかし、このように生きている人もいると知ることで、何かが変わります。
この紹介文に興味を持った方は、ぜひ著書を購入して読んでほしい本です(それによって著者の活動に協力することにつながります)。

「節目の年齢に対する不安は、自分の人生にどれだけ満足しているかに関係するんだろうね。自分のやっていることが大好きで、いい友人と家族に囲まれていたら、四〇歳も五〇歳も六〇歳も、ただの数字にすぎない。不安になる理由なんかないよ」(エピローグ 人生の次の章へ より)。

(*1)原題は、”Leaving Microsoft to Change the World : An Entrepreneur’s Odyssey to Educate the World’s Children。原題のほうが著者の思いがストレートに表現されていますね。

(2008年1月15日)

ガルブレイス わが人生を語る

J・K・ガルブレイス(著)「ガルブレイス わが人生を語る」(日本経済新聞社)
著名な経済学者であるガルブレイス(1908-2006)の回想。初出は日本経済新聞「私の履歴書」(2004年1月連載)です。
「ゆたかな社会」、「不確実性の時代」といった著書で知られるガルブレイスが、自らの人生と20世紀の様々な出来事との関わりを綴ったものです。
ガルブレイスはカナダの農家に生まれ育ち、農業大学で農業経済学を学び、カリフォルニア大学バークレイ校、ハーバードと進み、やがてケインズ理論と出会い、大きな影響を受けます。
その後、ルーズベルト大統領の元でニューディール政策に携わったり、ケネディ政権ではインド大使を務め、ジョンソン政権でも重要な役割を果たし、またフォーチュンでジャーナリストとして執筆を行ったりと、経済学者という範疇を超えて多面的な活躍をしてきたことがわかります。
本書の言葉を借りれば、 「社会科学は現実社会にどう役立つかで試されなければならない。」、この姿勢を自ら忠実に実践してきたのが、ガルブレイスの人生のように思われます。
淡々とした表現の中にもユーモアと、時代と社会に対する箴言を忘れないのがガルブレイスらしいところです。
「経済学者が書いた論文にはとりわけ難解なものが多いが、これはテーマが難しく深遠だからではない。十分にその問題を考え抜いたうえで書いていないことに根本的な原因がある。」
全編を通じて感じるのは、ガルブレイスが多彩で活動的な人生を送ってきたことです。彼の著書に擬えれば、「ゆたかな人生」といえるでしょう。
日本と日本人に対する心情もあふれています。
(2007)