いのちの輝き―フルフォード博士が語る自然治癒力

ロバート・C. フルフォード , ジーン ストーン (著),上野 圭一 (訳) 「いのちの輝き―フルフォード博士が語る自然治癒力」(翔泳社)

米国の著名なオステオパシー医のロバート・C・フルフォード博士が、人生観と治癒観について語ったものです。
アンドルーワイルが「癒す心、治る力」のなかでフルフォード博士について一章を割いて、その卓越した主義を絶賛しています(No.55で紹介しています)。
本書では、オステオパシーの考え方や、運動や栄養など自己管理の秘訣、そして人生全般に関するフルフォード博士の智慧が語られています。
オステオパシーでは、出生時の最初の呼吸が悪かったり骨折などの外傷がトラウマのようにからだに残り、迷走神経が正しく働かなかったり、エネルギーの流れが阻害されたために病気になると考えます。
そしてそれらのショックの痕跡を、手技や器具を使って緩めることで、エネルギーの流れを取り戻し、自然治癒力を発揮させるということです。
呼吸の重要性についても語られています。
「人は呼吸したとおりの人になる」
こころとからだが切っても切れない関係にあること、人間の体はひとつの有機的なつながりを持っていること、細分化された現代医学と異なり、病気を治すためには全体論的なアプローチが必要だというのが博士の基本的なメッセージです。
人生に対する態度についても多くの示唆が得られます。
「無条件で、すすんで人にあたえるたびに、いのちが少しずつ輝きだす」
(2007年12月19日)

人間ゲーテ

小栗 浩(著)「人間ゲーテ」(岩波新書)

長年のゲーテ研究の成果として、「人間」としてのゲーテの姿に迫った興味深い著作です。ゲーテの生涯を、様々な作品や女性との関わりを通して活写しています。

著者の言葉を借りれば、「ゲーテが、十八世紀という時代のなかで育まれ、戦い、そして時には妥協しながら、いかに生きるべきかに工夫をこらしていった姿を、私なりに掘り出してみたい」という狙いで書かれたものです。

第一章では、万能の天才と評されるゲーテのような人間が、複雑化・細分化した現代においても存在しうるのかという問題提起がなされます。

第二章では、ゲーテの受けた教育と人格形成の背景や、ゲーテを語る際に忘れてならない様々な女性との恋愛が解説されています。
ファウストの「永遠の女性が我らを引いてゆく」という文章が有名ですが、ゲーテは74歳になっても、17歳の少女に恋をしたという心の若い人物でした。

第三章以降では、官吏でもあったゲーテが革命の時代をいかに生きたのかを紹介し、またファウストなどの代表作を紹介しながら詩人としてのゲーテの魅力を分析しています。

(2007年12月27日)

人生を考えるヒント

木原 武一 (著)「人生を考えるヒント―ニーチェの言葉から」(新潮選書)

「大人のための偉人伝」(No.15で紹介)の木原武一氏が、ニーチェ(1844-1900)の言葉を通じて人生を生きる智慧を語ったものです。

ニーチェの哲学は難解で、ニーチェ自身も激しい頭痛などの持病を抱えて孤独のなかに生きたというイメージがあります。
そのようなニーチェ像は、この本を読むとかなり変わると思います。
著者はニーチェの著作から70以上の箴言を引用し、あわせて他の人物の言葉も紹介しながら、人生をよりよく生きるためのヒントを探っています。

「親切な記憶 ― 人の上に立つ者は、個人のあるとあらゆる美点を心に書き留め、それ以外のことは消すという、親切な記憶を身につけるといい。自分自身についても同様でありたい。『曙光』」(記憶の持ちよう より)

「人間が復讐心から解放されること、これこそ、私にとっては最高の希望への架け橋、長い嵐のあとの虹である。『ツァラトゥストラかく語りき』」(ルサンチマン より)

「隣人を自分自身とおなじように愛するのもいいだろう。だが、何よりもまず自分自身を愛する者となれ。『ツァラトゥストラかく語りき』」(隣人愛よりも大切なこと より)

このようなニーチェの言葉が、木原氏の血の通った解釈によって生き生きと響きます。

(2007年12月17日)

宇宙をつくりだすのは人間の心だ

フランチェスコ・アルベローニ (著),大久保 昭男 (訳)「宇宙をつくりだすのは人間の心だ」(草思社)

イタリアの社会学者・作家のフランチェスコ・アルベローニ(No.5で「借りのある人、貸しのある人」を紹介)の著作です。
本書で取り上げているテーマは、道徳と人間性についてです。

生命のあらゆるレベルに見られる生存競争、適者生存、利己的遺伝子という近代が発見した自然法則と、道徳や利他的な行為の共存が可能なのかという問題を、正面から取り上げています。
戦乱や飢餓などの危機的状況では、利己的に行動するものが生き残るという冷徹な事実の前で、このような自然法則に抗う道徳心について、歴史的・宗教的な議論を紐解きながら多面的に述べています。
このような重いテーマを取り上げていますが、文章に堅苦しさや難解さはなく、流れるような表現(翻訳)で著者の考えが自由に展開されています。

人間性に対する深い洞察と、慈しみを感じさせる文章が著者の特徴です。

「人間の本質、その特徴や能力は、生存に対する適応力でもなければ、闘争力でもなく、まさによりよい人生を夢見ることである。」
(第2章 道徳はどこから生まれるのか より)

著者は、人間性に信頼を寄せていることがわかります。

(2007年11月13日)

人は成熟するにつれて若くなる

ヘルマン・ヘッセ (著),フォルカー・ミヒェルス (編集),岡田 朝雄(訳)「人は成熟するにつれて若くなる」(草思社)

ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)の人生後半期の知恵が凝縮された一冊です。

エッセイと箴言、詩、子息マルティーンの撮影したヘッセの写真から構成されています。

ヘッセの85年の生涯のうち、ほぼ後半生の著作から編纂されたものであり、老境に向かう不安や恐れとともに、老いることにも積極的な意味を見いだす態度が表現されています。

やはりヘッセの文章がすばらしく、翻訳であっても、その世界を十分に味わうことができます。

「四十歳から五十歳までの十年間は、情熱ある人びとにとって、芸術家にとって、常に危機的な十年であり、生活と自分自身とに折り合いをつけることが往々にして困難な不安の時期であり、たび重なる不満が生じてくる時期である。しかし、それからおちついた時期がやってくる。・・・興奮と戦いの時代であった青春時代が美しいと同じように、老いること、成熟することも、その美しさと幸せをもっているのである。」

ヘッセの日常を偲ばせる多くの写真も興味深いものです。畑仕事に精を出す姿や散歩する姿、孫と戯れる姿などが撮影されています。

1947年、ノーベル賞受賞の翌年に撮影されたポートレートは厳しい眼差しをしており、孤高とも感じられる人柄が伝わってきますが、晩年は落ち着いた柔和な表情を見せています。

「全ての詩人の努力の目標は、人生の夕べにヘルマン・ヘッセのような顔を持つことである。」(編者あとがき より)
(2007年11月14日)

生き方の研究

森本 哲郎 (著)「生き方の研究」(PHP文庫)

古今東西の先人の生き方をたどることにより、生き方について深く考えるように促してくれる本です。

本書(PHP文庫)は、新潮選書として「正」(1987年)と「続」(1989年)が刊行されたものを、1冊にまとめ文庫化したものです。

登場するのは、古代ローマ時代のセネカに始まり、陶淵明、与謝蕪村、カント、兼好法師、シュリーマン、アインシュタイン、正岡子規、老子、小野小町、キケロ、石川啄木、白楽天、北斎、孔子など、39人に及びます。実在の人物だけでなく、ロビンソン・クルーソーや坊ちゃんなど、小説の主人公も登場します。

本書の特徴は、「かく生きるべし」という規範的な偉人伝に終わっていないことです。

各章には「人生の短さについて-セネカ」、「よき晩年について-王安石」というようにさまざまなテーマが設けられています。

最初に著者から問題提起がなされ、読み進むうちに著者とともに考えるよう促され、そこに先人が生きた事例として登場するという絶妙の構成になっています。

著者は、カントの三批判書(*1)に挑戦した学生時代や、シュリーマンの発掘の舞台を訪れたときの体験などを思い起こしながら、深く思索を巡らし、「生き方の研究」を展開しています。

血の通った人生論であり、充実した読後感が得られる良書です。

(2007年11月28日)

第三の波

アルビン・トフラー(著),徳岡 孝夫 (訳)「第三の波」 (中公文庫)

社会の構造的変化をダイナミックに捉え、その本質に迫る筆致を得意とするアルビン・トフラー(1928 – )の代表作です。
単行本は1980年の出版ですから、パソコンもインターネットも普及する前の時代です。トフラーの未来予測はどの程度当たったのでしょうか。

トフラーは時代の変革を「波」の概念でとらえ、第一の波は「農業革命」、第二の波は「産業革命」、そして第三の波は「脱産業化」と分類しています。
本書が執筆された当時は、ちょうど第二の波の社会(煙突型産業による大量生産・大量流通・都市の成立・規格化・同時化)から、第三の波の社会への移行期にあり、この変革は歴史上最大のものであると指摘しています。

このような時代変革の影響は、産業・生活・文化芸術など多方面に及びます。

例えば、第二の波の社会の到来によって、多くの聴衆を一ヶ所に集めて音楽を興行する必要が生じたために、大音量のオーケストラが考案されたというように、芸術さえも変革の影響から免れることはできないわけです。
そして、第三の波への移行ではさらに大規模で広範な変化が起こり、波頭がぶつかって砕けるように、旧勢力と新勢力の衝突や混乱が生じていると捉えています。

トフラーが予測した変革の多くは、現実のものとなっています。

「特別な教育を受けた専門家の手を必要としない安くて小型のコンピューターは、やがてタイプライターのように、どこにでも見られる存在になるであろう。」(第14章情報に満ちた環境 より)

またトフラーは、「マス・カスタマイゼーション」や、「生産=消費者(プロシューマー:Producer+Consumer)」という造語を用いて、消費者が製品の企画段階から参加するような、新しい産業の姿を予測していました。

トフラーの描いた未来の多くは現実のものとなりました。

その一方で、トフラーの予測を超えて進行したものもあります。その代表はインターネットでしょう。
WWW(World Wide Web)が登場するのは、「第三の波」から12年後の1992年です。

(2007年11月30日)

借りのある人、貸しのある人

フランチェスコ アルベローニ(著),泉 典子 (翻訳)「借りのある人、貸しのある人」草思社

硬めの本が続いたので、今回はちょっと趣向を変えてみました。
イタリアの著名な社会学者でベストセラー作家でもあるフランチェスコ アルベローニによる人間性に関するエッセイ集です。
著者は様々なタイプの「人」について考察しています。その一部を紹介すると、
・自信を失わせる人
・精神が衰えない人
・新たな道を切り開く人
・すべてを明日に延ばす人
・再出発ができる人
といった見出しで、49タイプが紹介されています。
しかし、どのタイプが良い人で、どのタイプがダメな人か、といった人物鑑定的な読み方をされるのは著者の本意ではないはずです。
本書を何度か読み返すうちに、世の中には様々なタイプの人がいて、思考や行動がかくも違うものかという、人間の多様性に気づかされます。
自分がどのタイプに近いか考えてみることで、自己を見つめなおすきっかけにもなるでしょう。
また本書は、人生論としても傾聴に値する内容が多々含まれています。

「・・・どんな失敗も挫折も、私たちのすべてにかかわるものではない。それはあくまでも計画のひとつ、恋愛のひとつ、夢のひとつの挫折にすぎない。そして私たちは、たとえ自覚していなくても、計画だの希望だの以上の何かなのである(「失敗してもくじけない人」より)。」

つまり、計画がうまく行かなかったり、万一会社が潰れたとしても、くよくよすることはないよ、ということです。
(2007年7月25日 11:48) | 個別ページ | コメント(0)

若き数学者のアメリカ

藤原正彦(著)「若き数学者のアメリカ」(新潮文庫)

ベストセラーとなった「国家の品格」の著者の初期の作品。日本エッセイストクラブ賞を受賞しています。
1972年、数学研究の留学生としてアメリカに招かれた著者は、気負いと不安を抱えながらハワイに降り立ち、ラスベガスで散財し、ミシガン大学に乗り込みます。アメリカ社会の中で様々な人々と出会ううちに、当初抱いていた敵愾心や「アメリカには涙の堆積がない」という印象から、「一瞬のうちにアメリカに恋をしてしまった」へと変化してゆく心の軌跡が、臨場感にあふれた文体で展開されています。またアメリカ社会に潜む問題点についても、深い考察が行われています。
今では海外旅行者数が1600万人(*1)を超え、海外留学者数も約8万人(*2)という現在では、アメリカに限らず外国で過ごし異文化と接触するということは、特別なことではなくなったようです
しかし、ガイドブックに紹介された有名観光地に行き、記念写真を撮り、土産を買って帰るだけでは、単に旅行商品を消費するだけの旅ではないでしょうか。留学にしても語学研修だけが目的では寂しいものです。
まったく違う言葉と習慣、文化の中で過ごすことは個人の意識に何らかの影響を与えるはずです。
著者の留学した時代と現代では環境が大きく変わっていますが、外国で暮らすということを、個人の内にある日本的なものと異文化の衝突ととらえ、自分自身と自分の国を見直すきっかけにしたいものです。
「若き数学者のアメリカ」の単行本が出版されたのは1977年ですが、その後文庫本が1981年に発売され現在も入手可能です。
著者独自の躍動感と瑞々しさにあふれた内容で、夏休みの読書に最適です。また「遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス 」もあり、こちらも合わせ読むと面白いでしょう。

(*1)社団法人日本旅行業協会の資料(日本人出国者数)。ちなみに著者が留学した1972年は139万人でした。
(*2)日本人の海外留学者数。ユネスコ文化統計年鑑。
(2007年7月20日)

高原好日―20世紀の思い出から

加藤 周一(著) 「高原好日―20世紀の思い出から」 (信濃毎日新聞社 2004/07)

評論家加藤周一(1919-)氏が、軽井沢や追分村など浅間山麓を舞台に、人々との交遊を綴った随筆集で、信濃毎日新聞の連載を単行本化したものです。

登場するのは70人、堀辰雄、福永武彦、中村真一郎、野上弥生子、伊藤整などの文人をはじめ、磯崎新、武満徹、丸山真男、池田満寿夫など、文化・芸術・学問の幅広い世界に渡っています。
また、一茶、佐久間象山、巴御前など、歴史上の人物との架空の問答もあります。

加藤氏の追分村の思い出は、少年時代に夏休みを家族で過ごす習慣から始まり、著書「羊の歌」でも美しく回想されています。
氏は、追分や浅間高原への思いを、次のように綴っています。

「故郷とは感覚的=知的な参照基準としての空間である。私にとっての浅間高原は、生涯を通じてそこへたち帰ることをやめなかった地点であり、そこに『心を残す』ことなしにはたち去ることのなかった故郷でもあるだろう」(前口上より)

論理と情緒が融合した、加藤氏の文章の魅力が感じられると思います。

(2008年6月 5日)