高原好日―20世紀の思い出から

加藤 周一(著) 「高原好日―20世紀の思い出から」 (信濃毎日新聞社 2004/07)

評論家加藤周一(1919-)氏が、軽井沢や追分村など浅間山麓を舞台に、人々との交遊を綴った随筆集で、信濃毎日新聞の連載を単行本化したものです。

登場するのは70人、堀辰雄、福永武彦、中村真一郎、野上弥生子、伊藤整などの文人をはじめ、磯崎新、武満徹、丸山真男、池田満寿夫など、文化・芸術・学問の幅広い世界に渡っています。
また、一茶、佐久間象山、巴御前など、歴史上の人物との架空の問答もあります。

加藤氏の追分村の思い出は、少年時代に夏休みを家族で過ごす習慣から始まり、著書「羊の歌」でも美しく回想されています。
氏は、追分や浅間高原への思いを、次のように綴っています。

「故郷とは感覚的=知的な参照基準としての空間である。私にとっての浅間高原は、生涯を通じてそこへたち帰ることをやめなかった地点であり、そこに『心を残す』ことなしにはたち去ることのなかった故郷でもあるだろう」(前口上より)

論理と情緒が融合した、加藤氏の文章の魅力が感じられると思います。

(2008年6月 5日)

老年について

キケロ ー(著),中務哲郎(訳)「老年について」 (岩波文庫 2004/01)

古代ローマ時代の学者・政治家・弁論家キケロー(前106―前43)が、二人の若者を前にして語るという想定で書かれた対話編です。
老年が惨めなもの思われる理由として、老年は(1)公の活動から遠ざけること、(2)肉体を弱くすること、(3)ほとんど全ての快楽を奪い去ること、(4)死から遠く離れていない、をあげて、これらの理由が本当かどうか検証するという構成で対話が進みます。
キケローの言葉には、自信が満ちあふれています。

「幸せな善き人生を送るための手だてを何ひとつ持たぬ者にとっては、一生はどこを取っても重いが、自分で自分の中から善きものを残らず探し出す人には、自然の掟がもたらすものは、一つとして災いと見えるわけがない」(p13)。

「老年を守るに最もふさわしい武器は、諸々の徳を身につけ実践することだ。生涯にわたって徳が洒養されたなら、長く深く生きた暁に、驚くべき果実をもたらしてくれる。徳は、その人の末期においてさえ、その人を捨てて去ることはないばかりか・・・人生を善く生きたという意識と、多くのことを徳をもって行ったという思い出ほど喜ばしいことはないのだから」(p17)。

「束の間の人生も善く生き気高く生きるためには十分に長いのだ」(p66)

ではどうすればこのような輝かしい老年期を迎えることができるのでしょうか。

「熱意と勤勉が持続しさえすれば、老人にも知力はとどまる」(p27)。

「わしがこの談話全体をとおして褒めているのは、青年期の基礎の上に打ち建てられた老年だということだ」(p61)

幸せな老年はひとりでにやってくるわけではなく、青年期からの生き方によって決まるということです。

若い世代にこそ読んでほしい本です。

(2008年6月10日)

自省録

マルクス・アウレーリウス(著),神谷 美恵子(訳)「自省録」 (岩波文庫 2007/02)

アウレーリウス(121‐180)は、古代ローマ五賢帝時代(96-180)の最後を締めくくる皇帝で、ストア派の哲人としても歴史に名を残した人物です。

本書は、アウレーリウスがまさに自省のために書きためたもので、古来多くの人に読まれ多大な影響を及ぼしてきました。

200ページほどのなかに、人間も宇宙の一部であるというストア学派を基本とした世界観、人生観、死生観が展開されています。

また、「公益」に資する生き方が強調されているのは、五賢帝の面目躍如といったところです。

「今こそ自覚しなくてはならない、君がいかなる宇宙の一部分であるか、その宇宙のいかなる支配者の放射物であるかということを。そして君には一定の時の制限が加えられており、その時を用いて心に光明をとり入れないなら、時は過ぎ去り、君も過ぎ去り、機会は二度と再び君のものとならないであろうことを」(第2章 4)

「ほかのものは全部投げ捨ててただこれら少数のことを守れ。それと同時に記憶せよ、各人はただ現在、この一瞬間にすぎない現在のみを生きるのだということを」(第3巻 10)

「あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ」(第4章 17)

「君の肉体がこの人生にへこたれないのに、魂のほうが先にへこたれるとは恥ずかしいことだ」(第6巻 29)

一文一句が、圧倒的な説得力を持って迫ってきます。

人生論は、これ一冊を読めば事足りるといって良いかもしれません。

(2008年6月11日)

古風堂々数学者

藤原 正彦(著)「古風堂々数学者」 (新潮文庫 2003/04)

藤原正彦氏のエッセイ集で、90年代後半のものが48編納められています。
あとがきで著者が述べていますが、当時はバブルの崩壊後で、グローバリズムの名のもとに価値観が変貌し社会のアメリカ化が進んだ時期です。
武士道と情緒を何よりも尊重する著者の悲憤も高まり、その思いは「国家の品格」につながります。

家族の日常、数学者のエピソードなど、様々な話題が取り上げられていますが、教育に関するものが多くなっています。

巻末に収められた「心に太陽を、唇に歌を」と題されたエッセイは、単行本化する際に書き下ろされたもので、著者の小学生時代の思い出を綴ったものです。

貧しい同級生への思いやり、人間味あふれる教師との関わり、そして弱きを助け強気を挫く著者のリーダーぶりが活写されており、藤原エッセイの原点を見る気がします。

当時の学校には、いじめがあり、貧しさもあったものの、社会全体を包み込む雰囲気は現代とは異なっています。
教育には、競争以上に大切なものがあることを教えてくれる秀作です。

(2008年6月12日)

マルクス経済学と現実

堀江 忠男 (著)「マルクス経済学と現実―否定的役割を演じた弁証法」 (学文社 1979年)

堀江忠男(1913-2003)氏は、経済学者にして、元ベルリンオリンピックのサッカー日本代表で、NHK「そのとき歴史が動いた」でも、その活躍ぶりが紹介されました。

本書は、実は学生時代の教科書ですが、いまだに書棚に鎮座しています。
内容はマルクス経済学の理論的な過ちを、徹底的に批判したものです。

マルクス経済学の基本的な理論である利潤率低下法則や、恐慌論、そして弁証法的な方法そのものに誤りがあり、経済の現実と乖離していることが、実証的に解き明かされています。

この書をいまだ棄てられないのは、次の一文があるからです。

「円という貨幣(かね)が悲しみの
もとなれば
幸(さち)と呼ぶ貨幣(かね)
使う世つくらむ」

経済学者としての、著者の信念が込められた言葉です。

(2008年6月18日)

グーグル・アマゾン化する社会

森 健 (著)「グーグル・アマゾン化する社会」 (光文社新書 2006/9)

インターネット社会の主役として君臨する、グーグルとアマゾンについて、その現状と影響力を分析し、ネットワーク理論の観点からその本質に迫った書です。

前半は、インターネット上の多様化と一極集中の現象や、Web2.0についての解説があり、続いてグーグルとアマゾンの成功の要因が分析されます。そしてスケールフリーネットワークという視点から、一極集中が進む仕組みが解きあかされます。

スケールフリーネットワークの解説では、No.69で紹介したアルバート・ラズロ・バラバシの「新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く」が基礎となっており、理論的な深みがあります。

大いに喧伝された「ロングテール現象」といっても、勝者はその一部にすぎないこと、また、すべての情報を検索可能にしようとしているグーグルの圧倒的な力など、ネットワークの拡大が個人の生活や購買行動に及ぼす影響力の大きさがわかります。

便利さばかりに依存して良いのかという、問題提起の書でもあります。

(2008年6月19日)

コンピュータが子供たちをダメにする

クリフォード ストール(著),倉骨 彰(訳)「コンピュータが子供たちをダメにする」 (草思社 2001/11)

「カッコウはコンピュータに卵を生む」「インターネットはからっぽの洞窟」などの著作で有名な、クリフォード・ストールが、教育とコンピュータについて述べた書です。
タイトルが示すように、教室にコンピュータを持ち込むことは、子供の考える力を奪ったり、読み書きの基本的な能力をうばったりと、むしろ有害な面が多いということが本書のテーマとなっています。

ただし著者は、反コンピュータ主義者ではなく、天文学者にしてコンピュータの専門家でもあり、コンピュータの有用性も認めた上で、一貫した論理でその問題点を主張しています。
インターネットから雑多な情報をかき集め、見栄えのする資料をまとめることは、学ぶという本質とは関係がないこと、またコンピュータの操作が楽しいとしても、学ぶことの喜びは得られないこと、短期間で陳腐化する機器への投資は無駄が多いことなど、多面的な批判が展開されています。

「学習とは情報を入手することではない。最大限の効率化を図ることでも、楽しむことでもない。学習とは人間の能力の発達を可能にすることだ。」(p42)

「マイクロソフト・ワードの使い方を学ぶことと、シェイクスピアの言葉(ワード)の使い方を学ぶことでは、どちらが大切だろうか」(p67)

著者が繰り返し述べているように、コンピュータそのものが悪いというのではなく、コンピュータへの過度の期待や依存が、教育上の多くの機会を奪ってしまうということ、子供が他人や世界の多様性に対する理解がなくなってしまうことが、問題の本質でしょう。

(2008年7月10日)

人生論ノート

三木清(著)「人生論ノート」(新潮文庫 改版版2000)

哲学者で「パスカルに於ける人間の研究」などの著作で知られる三木清による人生論です。長年多くの人に読み継がれています。

「死について」「幸福について」「懐疑について」「健康について」「希望について」など23の章から構成されています。
それぞれの章は数ページでまとめられており、折に触れて読み返すことができます。

「幸福は人格である。・・・幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である」
(幸福について より)

先人の知恵を引きながら、人生の諸問題に正面から向き合う真摯で敬虔な態度と、昭和初期の教養主義の雰囲気が感じられます。

(2008年7月30日)

大隈重信の言葉

学問は脳、仕事は腕、身を動かすは足である。 しかし、卑しくも大成を期せんには、先ずこれらすべてを統ぶる意志の大いなる力がいる、これは勇気である。
(2008年11月26日)

幸福論

アラン(著) 串田孫一・中村雄二郎訳 「幸福論」(白水Uブックス)

「荒地を開墾すること。・・・だれでも自分を開墾することが必要だ。・・・この世界をひらくものは鉈と斧だ。それは夢想を犠牲にした並木道だ。前兆に対する挑戦のようなものだ。・・・眠っている魂たちよ、カッサンドラに気をつけろ。まことの人間は奮起して未来をつくる。」(「予言的な魂」より)
(2009年7月25日 11:08)