ヒトの壁

養老 孟司 (著) ヒトの壁 (新潮新書 2021)

NHK-TV「まいにち養老先生 ときどき まる」の放送以来、「猫『まる』の飼い主として知られている」養老孟司の2021年の著作。

「人生を顧みて、時々思うことだが、私の人生は、はたして世間様のお役に立っただろうか。
徹底的に疑わしい」

というまえがきで始まり、自身の突然の大病、小学校時代からの思い出、コロナ禍やAIなどの時評、愛猫『まる』との別れなどが綴られる。

「人は本来、不要不急」

「五輪選手の身体は異常値を出す」

「現状は必然の賜物である」

など、意表を突くようなタイトルが続くが、

脳が作り上げた社会に埋没しないこと、

個性の強調よりも共感が大切、

自然の中で体を使うことなど、氏の基本的な考え方は一貫している。

羊の歌

加藤周一(著) 「羊の歌」「続・羊の歌」 岩波新書

評論家 加藤周一氏の半生を綴ったもので、初出は朝日ジャーナルに自伝的小説として連載された。

「羊の歌」は、羊年生まれの加藤氏が、もの心ついてから終戦までを、「続・羊の歌」は戦後から1960年代までを回想している。

戦前・戦後という激しい時代のうねりを基調に、「平均的な日本人として生きてきた」という加藤氏の人生と社会の姿が描かれている。

加藤氏の文章は緻密で論理的な構成により入試問題などによく使われるが、一方で、五感を活かした詩情性の豊かさという側面も魅力である。

「高原牧歌」で描かれる晩夏の浅間高原の姿と妹への愛情や、「冬の旅」で描かれるオーストリアの街の冬の情景など、きわめて文章が美しい。

「…すすきの穂が私たちの背よりも高く伸び、夕方の風が俄かに肌寒くなり、夏のまさに終ろうとするときに、高原はもっとも微妙なものにみちていた。私と妹は、恋人たちのように、寄添いながら、人気ない野原に秋草の咲き乱れるのをみ、澄み切った空気のなかで、浅間の肌が、実に微妙な色調のあらゆる変化を示すのを見た。夜になると遠い谷間の方から坂にさしかかった蒸気機関車の噴ぎはじめるのが聞え、坂をのぼりきったときに変る音、駅にとまるときの車輪の乱みまでが、静まりかえった夜を通して、はっきりと聞えてきた。その汽車のなかの人々と、私たちとを隔てていた途方もなく広い空間のなかで、眼をさましていたのは、私たち二人だけであったかもしれない。もし私がこの世の中でひとりでないとすれば、それは妹がいるからだ、と私はそのときに思った。私は高原のすべてを愛していたが、それ以上に、妹を愛していたのだ。」(「羊の歌」 高原牧歌より)

「その町の建物の屋根は低くできていて、厚い壁に抉った窓は、舗道に積った雪とすれすれのところに開いていた。二重窓のくもった硝子、黄色く惨んだその窓の光、かすかに聞える内側のざわめきと提琴の歌……街燈のつくる明るい円錐のなかで、降りしきる雪の粉は輝き、風に流れ、絶えまなく舞っていた。それほど美しい雪の町を私は見たことがない、そのまえにも、そのあとにも。一杯の白ぶどう酒とひとりの娘は、私の世界を無限に美しくしていた。」
(「続・羊の歌」冬の旅 より)

私がこの本と出合ったのは、大学時代にフランス語の先生から夏休みの課題として与えられたとき。
戦後を代表する評論家で博覧強記、百科事典の編集長を務め、数か国語に堪能な加藤氏は、決して「平均的な日本人」ではないかもしれないが、多くの人の共感を集め、いまでも岩波新書の中でロングセラーを続けているのも納得できる。

半分生きて、半分死んでる

養老孟子(著)「半分生きて、半分死んでる」(PHP新書 – 2018)

雑誌に連載された時評をまとめたもので、話題は社会・経済・政治・軍事から人工知能まで多岐にわたるが、森羅万象を解剖するかのような独自の視点は、以前の著作から一貫している。

「頭の中はすぐに煮詰まる。意識は煮詰まるものなのである。」

人口減少と高齢化という問題についても、煮詰まった結果だという。

「宇宙を考えるなら、自分を地球の一部分として見なくてはいけない。その意味では環境なんてない。自分と環境のあいだに切れ目はないからである。」

脳が作り上げた「ああすれば、こうなる」という社会、情報過多で刺激と反応が限界に差し掛かっている社会には基本的な問題がある、という指摘には納得させられるものがある。

「人の性質の多くをノイズと見なし、そうでない部分を情報として処理する。そういう世界に、現実の人間としての未来はない。」

結語は、「自分の生き方くらい、自分で考えたらいかが。」

LIFE SHIFT

リンダ グラットン (著), アンドリュー スコット (著), 池村 千秋 (訳)
「LIFE SHIFT」(東洋経済新報社 2016/10/21)

「100年時代の人生戦略」という副題が示すように、平均寿命が100年に達する時代の人生設計を見直すべきという啓発の書である。

現在老年期を迎えている世代・これから老年期を迎える世代・若い世代に分けて、年収・貯蓄・年金等からシミュレーションを行い、「何歳まで働かなければならないか」という冷徹とも思える現実が突き付けられている。

いわゆる生産年齢人口を過ぎてからも、いくつかの選択肢が選べるという新たな時代を迎えつつあることには、ある意味の希望も見いだせる。

ただ、すべての人が、中~高齢期に入ってからも、あらたなことに挑戦するだけの、精神的・肉体的な意欲を持ち続けることができるかが、分かれ道となることは間違いないだろう。

書く力 加藤周一の名分に学ぶ

鷲巣 力 (著) 「書く力  加藤周一の名文に学ぶ」 (集英社新書 – 2022/10/17)

加藤周一について多くの書を著している鷲巣力氏による、加藤周一の文体論であり読書入門ともいうべき書。

入試問題の定番で、難解・論理的と一般的に思われている加藤周一の文章だが、鷲巣氏はその構造や特徴を引用しながら具体的に解き明かしていく。

具体から抽象へあるいは部分から全体へという構造による組み立て、比較対象による主題の明確化、「、(読点)」や「-(ダーシ)」といった記号を明確な意図のもとに使っていること、など、いままで何となく読んでいた加藤周一の文体の特徴が分析されている。

加藤周一の文章が、決してわかりにくいものではなく、むしろ「いかにしたら読者に伝わるか」を極限まで考え抜いたうえで書かれたものであることがわかる。

名著「羊の歌」は、これらの緻密な組み立てに加え、繊細な五感で感じ取った詩情性の高さにより、長年読み継がれているのであろう。

遥かなるケンブリッジ

藤原 正彦 (著) 「遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス」 (新潮文庫 – 1994/6/29)  

名エッセイ「若き数学者のアメリカ」、「国家の品格」の藤原正彦氏(1943-)のイギリス滞在記です。
文部省の長期在外研究員として、1987年から約1年の予定でケンブリッジ大学に赴いたときの出来事を綴ったもので、今回は妻子を連れての滞在です。「私は研究に専念するため、妻子を連れて来た」という言葉に、氏の人間性がうかがわれます。
「若き数学者のアメリカ」で描かれた初めての外国暮らしの時と比べ、全体に気負いが少なく、落ち着いた調子が感じられます。
郊外に広がる田園の見事さ、古いものを大切にする生活様式、米語とはリズムの異なる英語、階級社会の実態等、老大国とよばれるイギリスの姿が生き生きと描かれています。
例えば、藤原氏がカレッジの芝生の見事さをほめると、案内してくれたリチャード博士は「四百年ほど丁寧な手入れを続ければこうなる」とさらりという。このような会話の端々にイギリス人の自国の伝統に対する絶対の自身があらわれています。
オックスフォードとケンブリッジの比較や、多くの数学者や住民との出会いや交流が展開しますが、次男が学校でいじめに合うという事件が発生し、この出来事について合わせて3章を費やし、階級社会や人種差別といった負の側面が描かれています。
締めくくりとして、イギリスとイギリス人に対する藤原氏の見解が述べられています。
「イギリス人は何もかも見てしまった人々」であり、「懐の深い熟年の美学」に魅かれるというのが、藤原氏のイギリス評となっています。

それがぼくには楽しかったから

リーナス・トーバルズ(著),デビッド・ダイヤモンド(著),風見 潤(訳)
「それがぼくには楽しかったから」(小学館プロダクション-2001/5/10)

インターネットのサーバーや一部のパソコン、組込機器等で使われている基本ソフト(OS)のLinuxを開発したリーナス・トーバルズの自伝です。
LinuxはUnixと同等の機能を有するOSで、世界中の多くのボランティアの手によって開発され進化している、いわゆるオープンソース・ソフトウェアの代表的なものです。
オープンソースは基本的に無料で利用できるものが多く、一部の自治体などではソフトウェアにかかるコストを抑えるために、Windows等のOSから切り換える例もでています。
このようにいままでのソフトウェアビジネスのあり方を根本的に覆す革命的なOSは、フィンランドの一人の青年の興味から生まれたものです。
11歳の頃、祖父の購入したパソコンとの出会いから始まり、学生時代をコンピュータとともに過ごし、様々なプログラムを作り、やがてUnixと出会い、洗練された世界に引き込まれていきます。
リーナス・トーバルズがLinux開発に取り組んだとき、ソフトウェアの世界に革命を起こすといった考えはなく、タイトルが語るように、「それが楽しかったから」やっただけのこと・・・この考えは彼の哲学のようです。
序章でも、人生にとって意義のあることとして、「一つめは生き延びること。二つめは社会秩序を保つこと。三つめは楽しむこと。」と語っています。
後半部分はオープンソースの哲学と、様々な企業との複雑な関わりや、今後のコンピュータ及び情報化社会の変化について、彼独特の考えが述べられています。
曰く「情報社会の次には娯楽社会が来るだろう」。


高度成長―「理念」と政策の同時代史

佐和 隆光 (著)「高度成長―「理念」と政策の同時代史」(NHKブックス)

昭和30年から45年までの高度経済成長の歩みを、経済白書の記述を丁寧に読み込むという作業によって掘り起こし、未曽有の成長をもたらした構造的な要因を解きあかそうとしたものです。
経済白書には、戦後復興から量的拡大への歩み、大きな政府への指向、その後40年代になった顕在化した公害問題などのひずみの認識、日本経済の構造的な課題として認識され続けてきた企業規模や地域の格差や跋行性などが記述され、まさに日本経済の歩みを写す鏡であったことがわかります。
国民所得倍増計画に代表される産業政策として量的拡大を目指した時代、技術革新と消費革命の時代、そして公共支出主導型経済への転換と生活の質の充実へと、いわゆるパラダイムの転換の考察が展開されています。
1984年刊行の本ですが、現在読んでみて、いくつか興味深い内容があります。たとえばIT社会を考えるうえで、次の一文に目がとまりました。
「いまにして思えば、昭和四〇年代の前半期に人びとが電子計算機に寄せた期待は、あまりにも過大にすぎたとしかいいようがない。人間社会の一切合切が、電子計算機のたすけを借りれば、たちどころに解読され、未来予測も思うがままであるかのように錯覚されていたのである。」(第三章 長期繁栄の光と影 P108より)
この文章の「昭和四〇年代」を「2000年代」に、「電子計算機」を「ウェブ(インターネット)」や「AI」に置きかえてみたらどうでしょうか。

高度成長―「理念」と政策の同時代史 (NHKブックス 単行本 – 1984/9/1)

まともな人

養老 孟司(著)「まともな人」(中公新書 2003/10)

養老孟司(1937-)氏は、ふだんあたりまえと思っていることに「本当にそうか?」と鋭い疑問を突きつけています。
本書は中央公論に連載の時評をまとめたもので、2001年から2003年までの出来事や話題をめぐって、氏の見解が述べられています。ちょうど911の出来事があった時期で、テロや原理主義について多くのページが割かれています。
他の著作とも共通する視点ですが、「ああすれば、こうなる」式の思考や行動がいかに過ちに満ち、社会のさまざまな問題を引き起こしているのか、都市化や脳化社会が問題の根幹にあることを指摘しています。
「情報とは停まったもので、生きて動いている存在ではない」、「自分だけのものとは、心ではなく、じつは身体である」、「人生の意味を問うというのは、若者たちの特権というわけでもない」、これらの言葉に、ある種の爽快感さえ覚えます。
養老氏の著作の多くがベストセラーになっているのは、そのような思い切りのよさが支持されているからかも知れません。
ただし養老氏自身は、他人がどう感じようがそんなことは気にせず、虫のことを考えているのかもしれません。

ビル・ゲイツ未来を語る

ビル・ゲイツ (著), 西 和彦 (訳)「ビル・ゲイツ未来を語る」(アスキー – 1995/12/1)

インターネット社会が離陸した時代に、ビル・ゲイツ(1955-)が何を考え、どのような未来予測をたて、マイクロソフト社(1975-)がどこに進もうとしていたのかを知ることができる本です。
本書出版から四半世紀を経過した現在、ビル・ゲイツの展望の多くは現実のものとなり、情報化社会のたどってきた方向も予測に合致していることがわかります。

本書が書かれた時期は、ちょうどマイクロソフト社にとって分水嶺となった時期でした。
90年代初め、マイクロソフトはインターネットの影響を過小評価しており、独自のパソコン通信サービス(MSN)を提供していました。またブラウザの開発でネットスケープに遅れを取ったことも周知の事実です。

マイクロソフトの歴史を振り返ってみると、同社は時代の最先端を走っている企業ではないことがわかります。
二番手の位置に付けながら、時代の変化を注意深く読み最適なタイミングを捉えて戦略を実行してきた手腕は見事です。
パソコンOSの圧倒的なシェアと資金力、マーケティング力という強みを生かして、成長分野でトップの座を奪い取る、それが同社の基本的な戦略であるといえます。

ビル・ゲイツが情報化社会の行方を正しく見据え、マイクロソフトを巨大企業に成長させた要因としては、ビル・ゲイツの資質だけでなく、同社がソフトウェアを生業とすることが大きいでしょう。
ソフトウェアには、プログラムしだいで何でもできるという柔軟性や、大規模な製造設備を必要としないこと、製品開発に成功すれば限界費用が極めて少ないといった特性があります。
これらソフトウェアの持つ特性は、企業が環境変化に対応して生き残るための大きな鍵となります。
ハードウェアメーカーの多くが、急激な技術革新とコンピュータの利用形態の変化によって淘汰されたことと比べれば、その違いは非常に大きいと思います。

マイクロソフトは、かつてのOSとパッケージソフトウェアの販売から、Azureを中心としたクラウドサービスに軸足を移しました。

執筆当時のビル・ゲイツは、このような変化を予想していたでしょうか。