ファンタジーの発想

小原 信 (著) 「ファンタジーの発想」(新潮選書)

よく知られた5つの名作を解説しながら、ファンタジーの大切さと心の豊さを教えてくれる本です。
紹介されている物語は、「星の王子さま」、「モモ」、「はてしない物語」、「銀河鉄道の夜」、「ライオンと魔女ナルニア国ものがたり」の5つです(私は第2章「時を心に刻む-M・エンデ『モモ』」が特に気に入りました)。
倫理学者である著者が本書で伝えようとした願いは、つぎのとおりです(*1)。

・人間の人間らしさを、大人としての自分がみつけ出すこと。
・大人としての自分が失ってきたものが何だったのかを知って出直すこと。
・自分の自分らしさや思い出を回復すること。
・いま生きているじっさいの世界が、色とりどりのひろがりをもった多重構造になっていることを見直すこと。
・かつて自分が読んで感銘を受けたことを心にとどめてたえず考え直していくこと。

それぞれの物語を読んで著者が感じたことを語りかけながら、現代人が見失ってしまったものは何かを問いかけます。

「自分の求めているものが、いまここにすべてある、というかたちで生きられる人はいない。いつも求道心とかあこがれのこころをもって、かしこには空気が澄み、われわれのこころもそのように澄みわたるのだろうという予感をもって、いまの生活を耐えながら生きていく。」(*2)

「感動する人は感動できる人であり、恋をする人は恋のできる人である。われわれが善意や愛を知ることから、それをじっさいに生きることまでにはわずかだが大きなギャップがあり、それを乗りこえていくことは、現実の世界にファンタジーを見ることからはじまる。」(*3)

引用が長くなりましたが、やさしく語りかけるような文章のなかに、深く豊かな倫理学の世界が広がります。
(*1)(*2)(*3)・・・いずれも「はじめに」より抜粋

硝子戸の中(がらすどのうち)

夏目漱石最晩年の随想。

「他ひとの事と私の事をごちゃごちゃに書いた」とあるように、苦悩を打ち明けに漱石の元に来訪する人々の身の上談や、小供の時の思い出、母や兄弟への思いが、落ち着いた文体で綴られている。

たどり着いた境地は次のように表現される。

「私の父母、私の祖父母、私の曾祖父母、それから順次に溯ぼって、百年、二百年、乃至千年万年の間に馴致された習慣を、私一代で解脱する事ができないので、私は依然としてこの生に執着しているのである。
だから私の他に与える助言はどうしてもこの生の許す範囲内においてしなければすまないように思う。
どういう風に生きて行くかという狭い区域のなかでばかり、私は人類の一人として他の人類の一人に向わなければならないと思う。すでに生の中に活動する自分を認め、またその生の中に呼吸する他人を認める以上は、互いの根本義はいかに苦しくてもいかに醜くてもこの生の上に置かれたものと解釈するのが当り前であるから。」

そして、文章が美しい。

「まだ鶯が庭で時々鳴く。
春風が折々思い出したように九花蘭の葉を揺かしに来る。
猫がどこかで痛く噛まれた米噛を日に曝して、あたたかそうに眠っている。
先刻まで庭で護謨風船を揚げて騒いでいた小供達は、みんな連れ立って活動写真へ行ってしまった。
家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚とこの稿を書き終るのである。
そうした後で、私はちょっと肱を曲げて、この縁側に一眠り眠るつもりである」

うらやましいくらい穏やかな春の日である。

資本主義の終焉と歴史の危機

水野 和夫(著)「資本主義の終焉と歴史の危機」 (集英社新書)

資本主義の生成、拡大、危機を迎えるに至ったメカニズムを、16世紀以来の世界史的視点と融合させて解き明かした書。
「投資しても利潤の出ない」時代を迎え、「成長」志向は解決策にならないという。
実に幅広い分野を含んだテーマであるが、文章は分かりやすく読みやすい。
ビジネス書として好評であるが、500年に一度の大転換期に生きるすべての人にとっての必読書といえる。

文明の旅

森本 哲郎(著)「文明の旅―歴史の光と影」(新潮社)

初版は1967年、古典に分類してよい本かもしれません。
森本哲郎(1925-)氏が1963年から1965年にかけて、朝日新聞の特派員として旅した世界を、味わい深い文章で綴る名著です。
著者の旅は、アルジェリアのオランから始まり、古代の都バビロン、ヨルダンの赤い都ペトラ、ギリシャ、エジプトを経て、アフリカ、インド、ヨーロッパ各地におよびます。
かつて栄華を極めた地域の多くが、年月とともに変容した姿で著者を迎えます。
サブタイトルの「歴史の光と影」は、かつての繁栄(光)と現在の姿(影)を示しています。
単なる紀行文ではなく、その土地の歴史に思いを巡らせ、文明や人間の営みに対しての深い思索が展開されています。
1960年代といえば、まだ海外旅行もめずらしい時代でした。必然的に、旅への思い入れも深くなります。
著者の新聞社特派員(当時)という肩書から推察されるような、ジャーナリスティックな雰囲気は感じられません。
旅の出来事を伝えながら、過去に思いを馳せ、さまざまな文献を引用し、歴史とは何かを考えさせてくれます。しめくくりはニーチェの引用となっています。
誠実で表現力に富んだ文体を通して、本書が出版された40年前の時代の雰囲気も伝わってきます。
観察、内省、表現・・・精神の豊穣な時代でした。

絶版ですが、オークションや古書店で入手可能です。

(2008年1月30日)

人を動かす

デール・カーネギー (著),山口 博(訳)「人を動かす」(単行本)

デール・カーネギーの著書はこれで3冊目の紹介で、「道は開ける」とともにミリオンセラーを続けている代表作です。

「人を動かす」という書名には、処世術を説くハウ・ツー本のような響きを感じますが、内容はカーネギーの他の著作と同じように、数多くの人間研究から生まれた奥深いものです。ちなみに原題は、”How to Win Friends and Influence People” です。

内容は、人を動かす三原則、人に好かれる六原則、人を説得する十二原則、人を変える九原則という構成になっており、その一部を紹介すると次のようなものです。

「人を動かす三原則」

●原則1 批判も非難もしない。苦情もいわない。

●原則2 率直で、誠実な評価を与える。

・・・

「人に好かれる六原則」

●原則1 誠実な関心を寄せる。

●原則2 笑顔で接する。

・・・

「人を説得する十二原則」

●原則1 議論に勝つ唯一の方法として議論を避ける。

●原則2 相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。

●原則3 自分の誤りをただちにこころよく認める。

・・・

「人を変える九原則」

●原則1 まずほめる。

●原則2 遠まわしに注意を与える。

●原則3 まず自分の誤りを話した後、注意を与える。

カーネギーが伝えたかったメッセージは、相手の人間性を尊重し、誠実に相対することがもっとも重要で、その姿勢が人を動かすということでしょう。

巻末には「幸福な家庭を作る七原則」が付されています。

カーネギーの他の著作とともに、座右に置いて読み返したい名著です。

(2007年12月13日)

スーパーエンジニアへの道―技術リーダーシップの人間学

G.M.ワインバーグ (著),木村 泉(訳)「スーパーエンジニアへの道―技術リーダーシップの人間学」 (単行本)

副題にあるように、技術によるリーダーシップというテーマを中心に、技術者が人間としていかに成長すべきかを語ったものです。原題は”Becoming a Technical Leader : An Organic Problem-Solving Approach”となっています。「スーパーエンジニア」という邦訳にも妙があります。

著者のG.M.ワインバーグは、本人の言葉を借りれば、商用コンピュータの黎明期にIBMシステムのプログラミングの「大名人」だったそうです。
その著者の前に、高速・大容量のハードウェア、二進法さらには十六進法という「新しい教義」や新たなプログラミング言語が出現し、著者の技術的優位性を無にするような事態が訪れます。

このような「谷間を乗りこえて」、いかに成長し生き残ってきたかを自伝的に語りながら、技術者として生きる道を説いています。

著者によれば、大規模なシステム開発の「ほとんど全部が少数の傑出した技術労働者の働きに依存している」ということです。
このような技術リーダーは、旧来のアメとムチ型のリーダー像とは質的に異なるものです。
著者は、いかにすればそのような影響力を持った技術リーダーになれるのか、その秘密を明らかにしていきます。

慣れ親しんだ技術に安住するのではなく、未知の新しい技術の世界へ挑戦することの大切さや、その時感じる痛みや苦しみ、新しい世界に到達したときに感じる、新たな地平線を見いだしたような喜び、さらには技術の第一線からマネジメント領域への移行についても語られています。

各章の最後には、読者に対するいくつかの問いが提示されており、深く考えさせられます。
比喩や逆説を多用したワインバーグ独特の文章で、初めての人にはとっつきにくいかもしれませんが、技術者の人間的成長についての傑出した名著です。

「くる年もまたくる年も、無言の苦しみのうちに、
彼のつややかな渦巻きは広がった。
・・・
もっと壮麗な舘を築くがよい、心よ、
季節はすばやく通りすぎるのだから。
過去の低い屋根から抜け出るがよい!
・・・」
第四章 リーダーはどう育つか より
(オリバー・ウエンデル・ホームズ 「おうむ貝」)

(2007年12月14日)

いのちの輝き―フルフォード博士が語る自然治癒力

ロバート・C. フルフォード , ジーン ストーン (著),上野 圭一 (訳) 「いのちの輝き―フルフォード博士が語る自然治癒力」(翔泳社)

米国の著名なオステオパシー医のロバート・C・フルフォード博士が、人生観と治癒観について語ったものです。
アンドルーワイルが「癒す心、治る力」のなかでフルフォード博士について一章を割いて、その卓越した主義を絶賛しています(No.55で紹介しています)。
本書では、オステオパシーの考え方や、運動や栄養など自己管理の秘訣、そして人生全般に関するフルフォード博士の智慧が語られています。
オステオパシーでは、出生時の最初の呼吸が悪かったり骨折などの外傷がトラウマのようにからだに残り、迷走神経が正しく働かなかったり、エネルギーの流れが阻害されたために病気になると考えます。
そしてそれらのショックの痕跡を、手技や器具を使って緩めることで、エネルギーの流れを取り戻し、自然治癒力を発揮させるということです。
呼吸の重要性についても語られています。
「人は呼吸したとおりの人になる」
こころとからだが切っても切れない関係にあること、人間の体はひとつの有機的なつながりを持っていること、細分化された現代医学と異なり、病気を治すためには全体論的なアプローチが必要だというのが博士の基本的なメッセージです。
人生に対する態度についても多くの示唆が得られます。
「無条件で、すすんで人にあたえるたびに、いのちが少しずつ輝きだす」
(2007年12月19日)

人間ゲーテ

小栗 浩(著)「人間ゲーテ」(岩波新書)

長年のゲーテ研究の成果として、「人間」としてのゲーテの姿に迫った興味深い著作です。ゲーテの生涯を、様々な作品や女性との関わりを通して活写しています。

著者の言葉を借りれば、「ゲーテが、十八世紀という時代のなかで育まれ、戦い、そして時には妥協しながら、いかに生きるべきかに工夫をこらしていった姿を、私なりに掘り出してみたい」という狙いで書かれたものです。

第一章では、万能の天才と評されるゲーテのような人間が、複雑化・細分化した現代においても存在しうるのかという問題提起がなされます。

第二章では、ゲーテの受けた教育と人格形成の背景や、ゲーテを語る際に忘れてならない様々な女性との恋愛が解説されています。
ファウストの「永遠の女性が我らを引いてゆく」という文章が有名ですが、ゲーテは74歳になっても、17歳の少女に恋をしたという心の若い人物でした。

第三章以降では、官吏でもあったゲーテが革命の時代をいかに生きたのかを紹介し、またファウストなどの代表作を紹介しながら詩人としてのゲーテの魅力を分析しています。

(2007年12月27日)

人生を考えるヒント

木原 武一 (著)「人生を考えるヒント―ニーチェの言葉から」(新潮選書)

「大人のための偉人伝」(No.15で紹介)の木原武一氏が、ニーチェ(1844-1900)の言葉を通じて人生を生きる智慧を語ったものです。

ニーチェの哲学は難解で、ニーチェ自身も激しい頭痛などの持病を抱えて孤独のなかに生きたというイメージがあります。
そのようなニーチェ像は、この本を読むとかなり変わると思います。
著者はニーチェの著作から70以上の箴言を引用し、あわせて他の人物の言葉も紹介しながら、人生をよりよく生きるためのヒントを探っています。

「親切な記憶 ― 人の上に立つ者は、個人のあるとあらゆる美点を心に書き留め、それ以外のことは消すという、親切な記憶を身につけるといい。自分自身についても同様でありたい。『曙光』」(記憶の持ちよう より)

「人間が復讐心から解放されること、これこそ、私にとっては最高の希望への架け橋、長い嵐のあとの虹である。『ツァラトゥストラかく語りき』」(ルサンチマン より)

「隣人を自分自身とおなじように愛するのもいいだろう。だが、何よりもまず自分自身を愛する者となれ。『ツァラトゥストラかく語りき』」(隣人愛よりも大切なこと より)

このようなニーチェの言葉が、木原氏の血の通った解釈によって生き生きと響きます。

(2007年12月17日)

宇宙をつくりだすのは人間の心だ

フランチェスコ・アルベローニ (著),大久保 昭男 (訳)「宇宙をつくりだすのは人間の心だ」(草思社)

イタリアの社会学者・作家のフランチェスコ・アルベローニ(No.5で「借りのある人、貸しのある人」を紹介)の著作です。
本書で取り上げているテーマは、道徳と人間性についてです。

生命のあらゆるレベルに見られる生存競争、適者生存、利己的遺伝子という近代が発見した自然法則と、道徳や利他的な行為の共存が可能なのかという問題を、正面から取り上げています。
戦乱や飢餓などの危機的状況では、利己的に行動するものが生き残るという冷徹な事実の前で、このような自然法則に抗う道徳心について、歴史的・宗教的な議論を紐解きながら多面的に述べています。
このような重いテーマを取り上げていますが、文章に堅苦しさや難解さはなく、流れるような表現(翻訳)で著者の考えが自由に展開されています。

人間性に対する深い洞察と、慈しみを感じさせる文章が著者の特徴です。

「人間の本質、その特徴や能力は、生存に対する適応力でもなければ、闘争力でもなく、まさによりよい人生を夢見ることである。」
(第2章 道徳はどこから生まれるのか より)

著者は、人間性に信頼を寄せていることがわかります。

(2007年11月13日)